物流の動脈「日光街道」から、今こそ学ぶべき「災害対策」の重要性【江戸モビリティーズのまなざし】
日光街道は江戸時代以前は奥州道で、関東から東北へ向かう道だった。江戸時代には「物流の動脈」として機能していた一面がある。
埼玉県と栃木県の大動脈・日光街道

東京都日本橋を起点に北は青森県に至る国道4号は、「日本の大動脈」といえる道路だ。
私たちはこの内、栃木県宇都宮までの道を日光街道と呼ぶ。
埼玉県内では県東を、栃木県内では県中央を南北に貫いている。
途中には東埼玉道路をはじめ9本のバイパスがあり、その内の1本、新4号国道はさらに5本のバイパスにつながっている。
周辺地域を広域に結ぶ幹線道路として、埼玉・栃木両県には不可欠な存在だ。
交通の利便向上に貢献した日光街道

埼玉県の沿道にある六つの自治体は、2014年から「埼玉六宿」と銘打った観光キャンペーンも実施している。六宿とは、
・草加宿(草加市)
・越ヶ谷宿(越谷市)
・粕壁宿(春日部市)
・杉戸宿(杉戸町)
・幸手宿(幸手市)
・栗橋宿(久喜市)
の六つで、いずれも江戸時代に発展した宿場町。寺院や旧商家跡などの文化遺産を今に残している。
栃木県では、宇都宮まで
・野木町
・小山市
・下野市
・上三川町
・宇都宮市
の五つの自治体を経由しているが、こちらは渋滞緩和のために進めた拡幅事業が注目される。
すでに北宇都宮拡幅事業は2004(平成16)年に終了し、他地域へのアクセスが大幅に改善された。宇都宮国道事務所は、今後も拡幅を進めていくとしている。
街おこしや交通の利便向上に大きな貢献を果たしてきた日光街道――。この道が、どのように整備され発展してきたかを知ることは、モビリティ産業に従事する人たちにとって有用だ。早速、その歴史を振り返ってみよう。