かつてはラブホが密集 インターチェンジ「周辺」にはコロナ後、何が作られるのか?
ICの誕生と成長
高速道路のインターチェンジ(IC)周辺は、時代の流れに応じてさまざまな変遷が見られる。大量の人やモノが流れているものの、綿密に開発がコントロールされている都市中心部とは異なり、開発にその時代の思惑が如実に表れている。
近年、日本は人口構造的にも、産業構造的にもパラダイムシフト期に突入しており、今回の新型コロナウイルスの感染拡大も、社会構造や生活者意識の変化を進展させた。そのため、IC周辺の様相にもさらなる変化が予想される。
国内の高速道路は、戦後の国策として1960年代から建設が推進されている。
1963(昭和38)年の名神高速道路栗東IC~尼崎IC間の開通をはじめに、1969年には名神高速道路東京~名古屋間(東京IC~小牧IC)の全線開通、1982年には中央自動車道の全線開通、さらに現在重要な交通インフラとなっている各地の高速道路が次々に全線開通し、車による広域交通網が全国に構築されていった。
その結果、高速道路は貨物鉄道や海運に代わる物流の大動脈の機能を担うようになり、地方のIC近隣には大型の工場や物流倉庫が次々に開発されていった。地方の高速道路が主に住宅の少ない野山に建設されたのは、IC近隣は広大な土地を取得しやすかったこともあるだろう。現在もこの光景が残っている地域は多い。
高度経済成長期に国内のモータリゼーションは急速に発達し、一家に一台以上の自家用車が持てるようになると状況も変化した。所得が増加するにつれて消費も旺盛になり、レジャーやショッピングなど車での活動が活発になっていった。そのため、IC近隣は物流拠点だけではなく、広域集客拠点としてのポテンシャルを持つようになる。
大都市と観光地を結ぶ高速道路の中間点に位置するICから車で5~10分のエリアでは、観光バスが立ち寄る観光ドライブイン開発が見られるようになる。当時は観光バスでの団体ツアーが多く、これらの施設は
・食事
・お土産購入
・休憩立ち寄りの場
として機能した。
その後、道の駅が開発され、サービスエリアの機能が拡充されるようになり、FITが増加してくると自然と開発は減少していった。