EV化が進む「自動車産業」 覇権握るのは米中?欧州? EU議会の提言とは
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- 自動車, CASE, EV, カーボンニュートラル, 脱炭素, BEV, PHV, 欧州議会, EU自動車産業の将来を読み解く
政治・経済と排気ガス規制の歴史
現在の車はさまざまな規制を受けているが、その歴史は古く1970年代にさかのぼる。以降、規制値は継続的に厳しくなっているが、主要な規制対象物質は基本的には同じだ。
その歴史の中で転換点となる三つの出来事を紹介する。
●マスキー法と昭和53年排出ガス規制
米国ロサンゼルスでは1940年代から光化学スモッグが発生し、健康被害が懸念された。盆地という地形の他に、鉄道から車への移動手段の移行が原因として重視され、1970年代には市民の関心も高まり、マスキー上院議員が提案した大気浄化法の改正案「マスキー法」が採択され、窒素酸化物NOxなどの厳しい排出量規制が適用された。
1973(昭和48)年、同様に光化学スモッグに苦しむ日本でも「マスキー法」を基本とする「昭和53年排出ガス規則」が制定されたが、欧米からは、この規制強化は「科学的根拠のない非関税障壁」として非難された。
日本国内でも日本興業銀行が、燃料消費の増大、性能の低下によって国内の乗用車需要が低下し、雇用が失われると警告したが、経済的損失とてんびんにかけられ、日本では公害防止を要求する声が大きく規制は予定通り実施された。
この厳しい規制に初めて適合したのが、1972年にホンダが発表した希薄燃焼と排気ガス後処理触媒を組み合わせた「CVCC」ガソリンエンジンだ。他の日本メーカーも規制に適合する技術を開発し「日本車は世界一クリーンなクルマ」として評判を高めた。
その後米国との貿易摩擦が発生し、1982年、日本は車の輸出自主規制を受け入れるとともに、現地生産を徐々に拡大していった。その後米国では汚染物質の排出が少ない低排出車LEVやゼロ排出車ZEVが規定されたが、現在欧州で言うCO2(グリーンハウスガスGHG)ゼロ排出車とは本来の目的が異なる。
●オイルショックとプリウスの誕生
1973年の第4次中東戦争と1979年のイラン革命により「オイルショック」という原油の供給不足が発生した。米国では1975年に石油の輸入依存度を低減する目的で「企業平均燃費基準(CAFE)」が制定され、トランプ政権時代を除いて段階的に目標が強化されている。