江戸時代、なぜ屋台に「車輪」はなかったのか?──“動けない商い”を成立させた都市規制の正体

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江戸時代から明治時代にかけて、都市内の輸送を担った主要な動力は人力であった。そのような人力輸送を支えていたエネルギー源、自動車で例えるならばガソリンにあたるのが、交通労働者向けの屋台グルメだったのである。

車輪なき屋台の構造と規制

江戸時代の屋台。『職人盡繪詞』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)
江戸時代の屋台。『職人盡繪詞』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 江戸時代の屋台の絵を見ると、車輪がないことに気づく。

 左が天ぷら屋台だが、これは部品を持ち込み現地で組み立てる方式。右の蕎麦の屋台は担いで移動する方式。ほかには、天秤のように棒の両端に商売道具をぶら下げて移動する屋台もあった。

 なぜ江戸時代の屋台に車輪がなかったかというと、江戸時代の都市部では車両に税金がかけられたり、あるいは場所によっては禁止されるなど、規制がかけられていたからである(庄野新『「運び」の社会史』)。

重い車両と道路保護の制約

平亭銀鶏『街能噂』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)
平亭銀鶏『街能噂』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 これは江戸時代の大八車だが、車輪が大きく太いことがわかる。

 江戸時代の車両は、固く丈夫な木を使った車軸と車輪を使用していたためたいへん重く、大八車を動かすには上の図のように3~4人の「車力」が必要とされた。

 江戸時代の道路は土、橋は木でできている。重量のある車両を野放しにすると、道路や橋が削られ劣化するために、規制がかけられていたのだ。

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