熊本市民が愛した“レトロ顔”が引退!「推し電」1位の名車、その激動の生涯! 福岡を支え、熊本を救った連接車の軌跡をたどる

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熊本市電の「5014号」が営業運転を終えた2025年2月、その歴史を振り返るとともに、5000形連接車が熊本の交通を支えた過程が浮かび上がる。高度経済成長期の福岡から熊本へと引き継がれたこの車両は、都市の発展と共に移り変わる交通事情に柔軟に対応し、市民の生活を支え続けた。特に連接車としての特性が、混雑解消や冷房車導入の効果と相まって、熊本市電の存続に大きく貢献したのだ。

北九州・福岡から筑豊・熊本・広島・ミャンマーへ

大きな車体を活かして広島でも活躍した元西鉄1000形。のちに広電の主力車両となる3連接車の先駆けだった。写真の広電3000形3007号は2021年引退、残る同型は3003号のみ(画像:若杉優貴)
大きな車体を活かして広島でも活躍した元西鉄1000形。のちに広電の主力車両となる3連接車の先駆けだった。写真の広電3000形3007号は2021年引退、残る同型は3003号のみ(画像:若杉優貴)

 西鉄1000形は、広島電鉄に移籍した車両も多くあった。広島では、北九州に倣って2両連接車を組み直し、同線初の3両連接車として活躍した。この成功は、後に広電の顔となる同社オリジナルの3両連接車導入にも繋がった。さらに2015(平成27)年には、ミャンマー国鉄の交通社会実験のために2編成が広島からヤンゴン市へ輸出された(2025年時点ではすでに運行を終了している)。

 こうして、北九州や福岡の街から各地へと旅立った西鉄1000形は、大きな車体を活かして近年まで活躍してきた。しかし、熊本と同様に超低床電車の導入が進む中で引退が進み、筑豊電鉄では2022年に運行を終了、広島でも2025年時点で残るのは3003号(3003ACB、元福岡市内線1206AB+1203A)1編成のみとなっている。

 朝鮮戦争をきっかけに生まれ、福岡の高度成長期を支え、そして熊本の交通の危機を救った西鉄1000形。その走りを体験できる期間はあとわずかとなりそうだ。熊本では引退してしまったが、もし広島で乗る機会があれば、その半世紀以上にわたる激動の歴史に思いを馳せてほしい。

●参考文献
・朝日新聞社編(1972年):『世界の鉄道 1973』朝日新聞社
・大田治彦(2010年):『西鉄電車おもいでアルバム』櫂歌書房
・熊本市(2018年):市電の現状と課題等について.熊本市
・高松吉太郎(1970年):『日本路面電車変遷史』鉄道図書刊行会
・服部敬重(2006年):『路面電車新時代――LRTへの軌跡』山海堂
・中村弘之(2005年):『熊本市電が走る街 今昔』JTBパブリッシング
・奈良崎博保(2002年):『福岡・北九州 市内電車が走った街』JTBパブリッシング

・熊本市交通局ウェブサイト「熊本市電開業100周年について」
・西日本鉄道ウェブサイト「にしてつWebミュージアム」
・西日本鉄道ニュースリリース「筑豊電気鉄道2000形車両運用終了!引退記念ツアー開催!」

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