熊本市民が愛した“レトロ顔”が引退!「推し電」1位の名車、その激動の生涯! 福岡を支え、熊本を救った連接車の軌跡をたどる
熊本市電の「5014号」が営業運転を終えた2025年2月、その歴史を振り返るとともに、5000形連接車が熊本の交通を支えた過程が浮かび上がる。高度経済成長期の福岡から熊本へと引き継がれたこの車両は、都市の発展と共に移り変わる交通事情に柔軟に対応し、市民の生活を支え続けた。特に連接車としての特性が、混雑解消や冷房車導入の効果と相まって、熊本市電の存続に大きく貢献したのだ。
モノレール化のなか発覚した大問題

熊本市電が西鉄から1000形を購入したのは1976(昭和51)年だった。
1960年代、熊本市電の車両はほとんどが単行車両だった。モータリゼーションの進行により、一部路線は廃止されていたが、市内中心部に残った路線はまだ混雑していた。そのため、1970年に「1979年ごろまでに市電を全線廃止し、モノレールや地下鉄などの大量輸送機関に置き換える」という方針が発表された。
しかし、問題が発生した。熊本市は水道水の100%を阿蘇からの地下水で賄っている「地下水都市」だった。そのため、モノレールや地下鉄などの軌道系の代替交通整備には予想以上の資金がかかることが分かった。
さらに、1974年には石油危機(オイルショック)が発生し、急速な人口増加と熊本市交通局の赤字再建団体化が重なった。その結果、財政面や環境面にやさしい市電を再活用しようという機運が高まった。そして、1976年2月に「市電廃止の2年以上延期」が発表された。