「東京湾」という名前が使われ始めたのは、なんと「昭和40年代」からだった!

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東京湾は、面積約922平方キロ、湾奥平均水深15mの内海で、首都圏4000万人の物流と都市開発を支える戦略的空間だ。その名称と港湾整備の歴史は、江戸期から国際貿易まで、経済の基盤と直結している。

東京湾の呼称変遷史

東京湾
東京湾

 東京都の名称が正式に定まったのは意外に最近のことだ。国土地理院の地図を見ると、明治初期の海図には「東京海湾」と表記されている。長らく海図上ではこの呼称が使われてきたが、昭和40年代に「東京湾」と改められ、現在の表記に落ち着いた。

 名称変更の理由は、地形に適した表現を用いる必要があったためだ。英語で湾は「Bay」、海湾は「Gulf」と呼ばれる。Gulfは大規模な湾を示す表現であり、ペルシア湾は「Persian Gulf」、メキシコ湾は「Gulf of Mexico」と表記される。東京湾はこれほどの規模ではないため、「海湾」とするのは不適切とされたのである。

 では、明治以前はどのように呼ばれていたのか。歴史的な概説書を読むと「江戸湾」という表記が見られることがある。しかし江戸時代の人々は、現在の東京湾全体をひとつの名称で呼んでいたわけではない。地域ごとの漁場や港を指す呼称が中心であり、湾全体を統一的に認識する習慣はなかった。

 東京湾の呼称の変遷は、地名の問題にとどまらない。湾岸の港湾整備や海上交通の発展、物流ネットワークの形成に直結している。明治以降、江戸が東京に変わるとともに、港湾名としても東京湾が定着し、国内外の航路や貿易に対応する基盤が整備されていったのである。

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