熊本市民が愛した“レトロ顔”が引退!「推し電」1位の名車、その激動の生涯! 福岡を支え、熊本を救った連接車の軌跡をたどる
熊本市電の「5014号」が営業運転を終えた2025年2月、その歴史を振り返るとともに、5000形連接車が熊本の交通を支えた過程が浮かび上がる。高度経済成長期の福岡から熊本へと引き継がれたこの車両は、都市の発展と共に移り変わる交通事情に柔軟に対応し、市民の生活を支え続けた。特に連接車としての特性が、混雑解消や冷房車導入の効果と相まって、熊本市電の存続に大きく貢献したのだ。
東京・大阪市内では見られなかった連接車

西鉄1000形の特徴は、一般的な電車のように複数の車両がつながった「連結車」とは異なり、切り離して運行できない「連接車」(連節車)である点だ。
連接車とは、車両と車両の間に台車があり、その台車が前後の車両を支える構造を指す。一般的には「連接車」と表記されるが、西鉄グループでは「連節車」を使っていた(この記事では「連接車」に統一する)。
連接車は、連結車よりも小回りが効き、車両間が短いため揺れが少なくなる。特に路面電車にとっては使い勝手が良い特徴がある。日本で初めて連接車が採用されたのは、1934(昭和9)年に京阪電鉄が大阪・京都から琵琶湖までを繋ぐ「びわこ号」だった。
路面電車が全盛期だった頃、西鉄のほか、札幌市電や名古屋市電にも導入されたが、東京や横浜、大阪の市内電車は基本的に単行車両で運行されており、連接車は珍しい存在だった。札幌や名古屋でも連接車は少数派で、福岡や北九州で見られるような1日中多くの連接車が行き交う光景は、当時の日本では異色だった。