怪紳士も登場 「東急池上線」誕生の秘史から見る、鉄道ビジネスのダイナミズム
「最も情緒ある路線」の歴史
東京では現在、新たな路線計画が注目を集めている。有楽町線の豊洲~住吉間、南北線の品川~白金高輪間の延伸で、2030年代半ばの開業が見込まれている。
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東京の鉄道路線は長年にわたって利便性を追求し、新線の建設・延伸が進んできた。ただ、当初の計画通りに完成したものは案外少ない。その大半は計画途中で見直しが何度も行われている。さらに、かつては延伸先が曖昧なまま開業した路線もあった。その代表格は、現在は東急の路線になっている池上線だ。
東急池上線といえば、東京で「最も下町情緒ある路線」として知られている。3両編成の電車がトコトコと走り、品川区から大田区へと向かう様は独特の雰囲気がある。特に昭和生まれの人たちにとっては、ノスタルジーを想起させるだろう。
現在は駅の改装も進んでいるが、大井町線との乗換駅である旗の台駅(品川区)は21世紀になる頃まで、ホームを横断する構内踏切や立ち食いそば屋のある、味のある駅だった。また山手線側の起点駅・五反田駅も、21世紀に入ってもしばらくは有人改札のままだった。ただただ懐かしい。
そんな東急池上線だが、路線の始まりは池上電気鉄道による1922(大正11)年の蒲田~池上間開業からで、その目的は池上本門寺(大田区)への参詣客を輸送することだった。しかし開業時は、池上駅から先は明確ではなかった。なにしろ蒲田駅の設置も当初の計画にはなかったほどだったのだ。
最初の計画では、大森から池上を経由して目黒方面へ向かう予定になっていたが、計画が始まった頃、目黒駅に向かって目黒蒲田電鉄が既に工事を始めていたのである(現在の目黒線と多摩川線。1923年開通)。