神奈川の謎! 新横浜駅の「南口」がちっとも開発されていない理由
ツイッターでも大きな話題に
新横浜駅(神奈川県横浜市)は現在、相鉄・東急を結ぶ新横浜線が開業したこともあり、話題の真っただ中にある。そんな同駅周辺は、東海道新幹線の開業(1964年)を契機として都市化が進み、発展してきた。
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ただ、発展しているのはなぜか北口だけである。北口は多くのビルが立ち並ぶ横浜市の副都心として知られる。
一方、南口(篠原口)はどうだろう。駅の出入口はとても同じ駅とは思えないほど地味だ。そして、駅前の風景もいわゆる
「郊外」
のそれである。先日もその落差に驚きを隠さないツイートが話題となった。同ツイートには、4月22日午前9時時点で4.7万件もの「いいね」が付けられている。
いったい、なぜ新横浜駅の南口はこんなにも駅建設当時のままの風景を残しているのか。資料を基にした記事をお送りする。
駅開業の記念誌にも詳細なし
冒頭から恐縮だが、
「なぜ開発が手つかずになったのか」
という問いに明快に答える資料は存在しない。
国会図書館に、2014年刊行の新横浜駅開業50周年記念事業委員会編『新横浜50年の軌跡:新横浜駅50周年記念誌』という冊子が所蔵されている。この資料には、新横浜駅の開業までの地域の歴史や駅開業後の変化について、多くの証言が記載されている。
駅開業から11年たった1975(昭和50)年、北口の区画事業は完了している。この際、旧町名を改めて「新横浜」という町名が採用され、1~3丁目までが設定された。しかし、どういう経緯で北口だけが開発されたのかは、全く触れられていない。
この冊子には多くの写真も掲載されている。そのなかには1968年に撮影された駅南側のものがあり、
「新横浜駅の篠原口出入口周辺は整備計画が遅れていて、駅のすぐ近くにはまだ田んぼが広がっていました」
との説明が書かれている。
また同じページには、北口のロータリーの写真が掲載され
「北口のある駅前広場は、南側に比べて少しずつ整備が進んでいました」
とある。しかし、それ以上の記述はどこにもない。