神奈川の謎! 新横浜駅の「南口」がちっとも開発されていない理由
反対派の感情にも一理あり

区画整理が行われていない理由を、同記事から引用する。
「横浜市は同地区の下水道整備を、土地区画整理事業と合わせて行う方針。70年代から地元と話し合っているが、地権者の反対で難航している。86年、36ha、地権者約360人を対象とした原案が市都市計画審議会で了承されたが、県が開いた縦覧で反対意見が殺到。市は計画の再検討に追い込まれ、下水道整備もストップしたままだ。
市の区画整理事業計画は、同地区を新幹線の駅前にふさわしく業務、商業機能を兼ね備えた住宅地にする内容。地権者らは「公共性が強い事業なのに道路整備などに土地を供出させられる。地元民の犠牲を強いるものだ」と反発。公共用地部分を市が買い上げる方式を求めている」
ここからは、区画整理の方法で住民と行政の間で根深い対立があったことがわかる。さらに、続く部分ではこんな記述もあった。反対派の地権者でつくる地元団体(会員220世帯)代表の言葉である。
「北側の開発は市が進める区画整理事業で行われたが、地権者は相当の土地を道路に供出させられた。換地された土地も細長くて単独では使いにくく、大手開発業者に売らざるえなかった」
「開発を条件に下水道も整備しないのはおかしい」
なるほど、先に挙げた『新横浜50年の軌跡:新横浜駅50周年記念誌』の記述があっさりとしていたのは、過去の歴史に触れたくない意図があるからかもしれない。確かに、区画整理が行われ、自分の土地が減らされたら大抵の人は相手を恨むだろう。ごく当たり前の感情である。ゆえにその根は深い。代表の気持ちもわからなくもない。
このとき、筆者が思い出したのは1978(昭和53)年に設立された日本初のマンガ図書館「現代マンガ図書館」の故・内記稔夫館長だ。
生前に、図書館の近くでマンガの話題について取材を行い、一段落して昔のかいわいの話を雑談で聞いていた。都電が走っていたときの話をひとしきりした館長は、思い出したように
「区画整理のときに、あそこのヤツが仕切って都合よくやったんだよ」
と江戸弁で数軒先の家を指さしたのだった。