八王子は「東京」を名乗っていいのか? マツコが「納得いかない」「23区感出すな」と語る理由! 移動のリアルから考える
「東京」と名乗る地理的特権

東京都心で桜が開花する少し前の2025年3月17日、マツコ・デラックスのひとつの発言が静かな波紋を広げた。
「東京出身っていって、「八王子」としてじゃなくて「東京」として語るのが納得いかないわ~」
「八王子を馬鹿にしているわけではないのよ」
「東京の多摩地区問題ってあるわよ。地方に行ったときに、どさくさにまぐれて“23区感”出すじゃない。多摩の人って。東京から来ましたって」(以上『スポニチアネックス』2025年3月17日付け記事)
TOKYO MX「5時に夢中!」の何気ないやり取りのなかで放たれたこの言葉は、ただのローカル自虐ジョークにとどまらない。そこには、現代の首都圏を覆う東京という虚像と、それにともなう移動の実態、社会的文脈、そして不均衡な利得の構造が透けて見える。この問題は、
・都民意識
・地元愛
の話だけではない。モビリティの実態、都市のアクセス性、そして経済圏における主張できる地理的アイデンティティの問題にまで及ぶ。いい換えれば、それは名乗る資格と得られるメリットが一致しているか、という問いでもある。
日本のなかで東京と名乗ることが持つ価値は圧倒的だ。就職活動で東京出身ということ、観光地で「東京から来ました」と述べること、それらはたしかに
「何かしらの好印象」
を生む。だが、東京と一口にいっても、実際には23区とそれ以外で経済的、文化的、移動上の経験は大きく異なる。
八王子市は東京都に属してはいるが、新宿から特急で約40分、通勤時間帯には1時間以上を要することもある。鉄道の便はよいとはいえ、その移動負荷や生活圏は23区と決定的に違う。つまり、東京という表現が持つ都市的イメージ――利便性、即応性、文化資本の集中――と、実際に日常的に享受されているインフラとの間には乖離がある。
この乖離が、マツコの違和感の正体であり、「どさくさにまぎれて23区感を出す」という表現に凝縮されているだろう。