北西ヨーロッパへ侵攻 「ノルマンディー上陸作戦」成功のカギはいったい何だったのか

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「史上最大の作戦」と呼ばれる「ノルマンディー上陸作戦」では、ロジスティクスが重視された。しかしそれは、作戦成功のカギではなかったとの指摘がある。

ノルマンディー上陸、ヨーロッパ大陸への反攻作戦

ノルマンディー上陸作戦の銅像(画像:写真AC)
ノルマンディー上陸作戦の銅像(画像:写真AC)

 1944年6月6日、連合国軍はついに、長年にわたって準備を進めてきたヨーロッパ大陸への反攻作戦、フランスのノルマンディー海岸への上陸作戦「オーバーロード」を開始した。これは、ヨーロッパ東方戦線でドイツと戦うソ連が久しく待ち望んでいた「第2戦線」の構築も意味する。

 この上陸作戦の様相については広く知られている。事実、今では戦争映画の傑作と評価される「史上最大の作戦」以外にも、映画「プライベート・ライアン」やテレビドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」などがこの上陸作戦を主題としている。

 ノルマンディー地方の防衛を担当するドイツ軍のエルウィン・ロンメルは、戦いの勝敗は水際で決まり、仮に連合国軍を押し返す機会があるとすれば、上陸時しかないと考え、連合国軍の上陸後24時間が決定的になるとした。

 実は、映画「史上最大の作戦」の原題 “The Longest Day” は、彼が副官に対しその24時間(1日)がドイツにとっても連合国側にとっても「最も長い1日」になるであろう、と述べた事実に由来する。

 ノルマンディー上陸作戦は、3個の空挺(くうてい)師団(アメリカ2個、イギリス1個)とアメリカ、イギリス、カナダの6個歩兵師団を基幹として実施された。もちろん、この作戦を支援するために多数の海軍艦艇、航空機、さらには工兵部隊やロジスティクス担当部隊なども参加している。

 迎え撃つドイツ軍は、連合国側の事前の欺瞞(ぎまん)および陽動作戦に振り回された結果、フランス北西部全域の海岸を防御することになった(いわゆる「大西洋の壁(アトランティック・ウォール)」)。さらにはこの上陸作戦が始まってからも、「ノルマンディーは陽動作戦であり、連合国軍の主力による攻撃は、イギリス本土から最短距離のパ・ド・カレーでは?」との思いに揺れていた。頼みの機甲部隊も、ヒトラーの指示の下でフランス国内に広く分散配置されていた。

 ドイツにとって唯一の望みであった機甲部隊による反撃は、同国の政治および軍事指導者の対応の遅さの結果として失敗し、連合国軍の増援部隊は続々と上陸に成功した。そして、6月10日までには5カ所の上陸海岸の橋頭堡(きょうとうほ)、すなわち海岸堡が連結され、1つの大きな拠点を形成するに至ったのである。