北西ヨーロッパへ侵攻 「ノルマンディー上陸作戦」成功のカギはいったい何だったのか

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「史上最大の作戦」と呼ばれる「ノルマンディー上陸作戦」では、ロジスティクスが重視された。しかしそれは、作戦成功のカギではなかったとの指摘がある。

上陸作戦に向けた最終調整

空からも上陸を支援(画像:写真AC)
空からも上陸を支援(画像:写真AC)

 では次に、ノルマンディー上陸作戦に向けての実際の準備作業について概観しておこう。

 前述したようにノルマンディー上陸作戦は、既に上陸前からその戦いが始まっていた。1943年には作戦の実施が決まり、当時は支援部隊を含めて約25万、約7000隻の艦艇が参加予定であった。今日、従来の史料調査や戦跡調査に加えて、上陸地点の戦いの残骸の海底調査などが進んだ結果、戦いの実相がさらに明らかになりつつある(これについては、NHK BSドキュメンタリー番組「海底調査でよみがえるD-day」などを参照)。

 第2次世界大戦においてノルマンディー上陸作戦は、その規模において最大級であり、かつ最も複雑な作戦の一つになった。そこでは技術的可能性、戦力を集中させる方策、用いられる戦略や戦術、ロジスティクスをめぐる問題など、大きな問題が待ち構えていたのである。

 例えば、ノルマンディー地方の海は、潮の干満差が大きい。海岸線は長いものの、断崖が多い。また、同地方には大規模な港湾が存在しない。それでも他の候補地と比較検討された結果、いわば消去法でノルマンディーが選ばれた。他の候補地は潮の流れがさらに激しいか、あるいは、ドイツ軍の防御が強固であったためである。

 連合国側はノルマンディーの地形などについて小型潜水艦による沿岸調査を行うと共に、航空写真を活用した。またドイツ軍部隊の動向などについては、先述したようにフランス国内のレジスタンス組織から情報を得ていた。レジスタンスには約80の情報網があったとされる。加えて、二重スパイの活動も記録されている。

 また、ドイツのベルリンから東京へと発せられる日本の外交暗号通信、さらには日本陸海軍の暗号通信の解読にも連合国側は成功していたため、ここでもドイツ軍の意図は完全に筒抜けであった。

 とりわけイギリス本土では、イギリス軍およびアメリカ軍を中心として上陸訓練が繰り返し実施されると共に、さまざまなブリーフィングを行うことで作戦の狙いが兵士に徹底された。地図はもとより、「砂盤」(砂や土を使い、地形を模して作ったジオラマ)も用いられたという。事実、イギリス南西部はアメリカに「占領」されたイギリスとの皮肉が聞かれるほど、多くのアメリカ軍人が同国に駐屯していたのである。もちろん、上陸地点には湿地や沼地が多く存在する事実も、兵士に周知徹底されていた。

 上陸作戦の実施が近づくにつれて、ノルマンディー海岸全域の詳細な地図が作成されたが、もちろんこうした秘密は厳重に保全された。なお、地図の作成には、やはりフランスのレジスタンスが協力していたとされる。

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