北西ヨーロッパへ侵攻 「ノルマンディー上陸作戦」成功のカギはいったい何だったのか

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「史上最大の作戦」と呼ばれる「ノルマンディー上陸作戦」では、ロジスティクスが重視された。しかしそれは、作戦成功のカギではなかったとの指摘がある。

ノルマンディー上陸への長い準備期間

ノルマンディー上陸作戦の慰霊碑(画像:写真AC)
ノルマンディー上陸作戦の慰霊碑(画像:写真AC)

 広義におけるノルマンディー上陸作戦の準備は、1940年6月の「ダンケルクからの撤退」直後から始まっていた。イギリスは、既に6月には、ヨーロッパ大陸への反攻を目的としてコマンド部隊を編成し、それをノルウェーやフランス海岸地域で運用、試行錯誤を繰り返しながらも、着実に実戦経験を積んでいたのである。

 また、1942年8月には、カナダ軍と合同でディエップ上陸作戦を実施した。この作戦は大失敗に終わったが、こうした実戦での「教訓」がノルマンディーで生かされたという。

 フランス北西部からヨーロッパ大陸への反攻作戦に関する、より具体的な構想は、1942年初頭からイギリスとアメリカの間で議論されており、そこでは軍事上のさまざまな不備が明らかになると共に、両国の国家戦略が対立したものの、最終的にはイギリスが主張した「地中海戦略」――「間接アプローチ戦略」――が優先され、ヨーロッパ大陸への反攻は遠のいたかのように思われた。

 だがそうした戦略環境下でも、1943年には「オーバーロード」作戦の実施が決定された。当初は1944年5月1日を予定していたが、事情により6月5日に延期された。しかし、現実には悪天候の影響でさらに1日延期され、6月6日となったのである。

 作戦決行までの間、数多くの欺瞞および陽動作戦(その中でもジョージ・S・パットン将軍の「第1軍集団」は有名)が実施され、また、フランスのレジスタンス組織が提供する情報や航空偵察から得られた写真、さらにはドイツ側の暗号解読や「二重スパイ」から得られた情報などを基に、作戦の細部が詰められた。

 また、準備期間中は、爆撃機を用いた空爆をあえて広範囲――上陸地点をドイツ側に悟られないため――に実施すると共に、作戦に参加する多数の兵士と糧食および物資がイギリス南部に集結、兵士に対しては厳しい訓練が行われたのである。

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