北西ヨーロッパへ侵攻 「ノルマンディー上陸作戦」成功のカギはいったい何だったのか

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「史上最大の作戦」と呼ばれる「ノルマンディー上陸作戦」では、ロジスティクスが重視された。しかしそれは、作戦成功のカギではなかったとの指摘がある。

ノルマンディー上陸作戦のロジスティクス――クレフェルトの厳しい評価

ノルマンディー上陸作戦開始日。1944年6月6日撮影(画像:AFP=時事)
ノルマンディー上陸作戦開始日。1944年6月6日撮影(画像:AFP=時事)

 イスラエルの歴史家マーチン・ファン・クレフェルトは、主著『増補新版 補給戦――ヴァレンシュタインからパットンまでのロジスティクスの歴史』の第7章「主計兵による戦争」で、歴史上、指揮官が政治状況や戦略条件の変化の結果として、理想的とされる数量および種類に近い物資を用いて戦争を遂行することなど不可能であった事実、そして、まさにこの理由によって指揮官に高い個人的資質が求められる旨を強調している。

 その資質には例えば、適応性、機転、即応能力などが含まれようが、その中でもとりわけ重要な要素が決断力であると、彼はプロイセン(ドイツ)の戦略思想家カール・フォン・クラウゼヴィッツに極めて近い戦争観を提示している。

 同章は、1944年6月のノルマンディー上陸作戦をロジスティクスという側面から考察したものであるが、この作戦においては、ロジスティクス・システムの全ての組織が互いに完全に調和することを求めるあまり、計画が厳密かつ詳細になり過ぎた事実が問題視される。

 クレフェルトによれば、これは、複雑な人為的準備の価値をあまりにも過大に評価する一方、決断力、さらには常識や即応の有用性を過小に評価した典型的な事例である。換言すれば、クラウゼヴィッツの言う「摩擦」の要素に対する配慮の欠如である。「計画の最大の欠点は戦争に必然的に伴う『摩擦』に対して十分な用意がなかったことである。浪費を恐れるあまり計画の窮屈さが、逆に浪費を生んだのである」

 事実、ノルマンディーにおいては、当初の90日間の包括的なロジスティクス支援計画が立案された。上陸する兵士数、場所、日時、順番が正確に決められた。加えて、海岸の障害物除去や作戦の手順、廃棄物の捨て場所、ある揚陸方法から別の揚陸方法への切り替え点、ある梱包(こんぽう)方法から別の梱包方法への切り替え時期、などが決められた。

 また、多数の補給物資を正しい時間に正しい場所に陸揚げするため、厳密な優先順位が決められた。それに従い、あらゆる物資について集積、要求、梱包、引き渡し、分配の詳細な手順が決められた。さらに、連合国軍は数カ所の港湾を占領し、兵士や物資の陸揚げに使う予定だったため、10カ所以上の港湾の修復計画が作成された。

 こうした計画がうまく進んだためノルマンディー上陸作戦は成功したと考えるかもしれないが、真実はそうではなかった。クレフェルトによれば、上陸作戦実施後、こうした順序正しく揚陸させるための計画は、数時間の内に、大波や、敵の強力な抵抗のために事実上消滅したのである。

 興味深いことにクレフェルトは逆に、ノルマンディー上陸後の連合国軍による反攻作戦が成功した事実は、ロジスティクスを重視するあまり消極的になり過ぎていた連合国側の戦争計画に対し、決断の重要性を改めて思い起こさせてくれるものであるとも指摘しており、あまりにも細部にわたる計画はかえって有害になり得るとの逆説(パラドックス)も指摘する。

 繰り返すが、この作戦においては、ロジスティクス・システムの全てが互いに完全に調和することを求めるあまり、計画が厳密かつ詳細になり過ぎたことが問題視されたのである。

 そうしてみると、ノルマンディー上陸作戦で連合国側が成功したのは、結局のところ、あらかじめ準備されたロジスティクス計画を実施したからではなく、それを無視したからであるとのやや極端な議論も可能となる。

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