第1次大戦 ドイツ軍のフランス侵攻作戦計画はなぜ失敗したのか? 背後にあったロジスティクスへの認識不足とは

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は、第1次世界大戦シュリーフェン計画をめぐるロジスティクスについて考える。

第1次世界大戦前夜ヨーロッパの戦略環境

シュリーフェン計画
シュリーフェン計画

 イスラエルの歴史家マーチン・ファン・クレフェルトは、その主著『増補新版 補給戦――ヴァレンシュタインからパットンまでのロジスティクスの歴史』で、ロジスティクスをめぐる術(アート)を、軍隊を動かし、かつ軍隊に補給する実際的方法と定義した。

 端的に言えば、ロジスティクスをめぐる術(アート)とは指揮下の兵士に対して、それなくしては兵士として活動できない1日当たり3000kcalを補給できるか否かの問題である。彼はまた、戦争をめぐる問題の90%はロジスティクスに関係するとも述べている。

 この小論では、1914年の第1次世界大戦開戦時に、ヨーロッパ西部戦線でドイツ軍が用いた「シュリーフェン計画」を事例として、ロジスティクスをめぐる問題について考えてみたい。

 第1次世界大戦前のドイツが抱えた問題は、フランスやロシアなど強国に東西から挟まれているため、仮に戦争になった場合、同国が敗北を回避し得る唯一の方策は、一方の敵が国内奥深くに侵攻してくる前にもう一方の敵を撃滅するしかない、という点であった。そして、1894年の仏露同盟の成立とその強化の結果、このドイツ固有の戦略ジレンマはより深刻になるのである。

 戦争が生起した場合、ドイツが大平原の広がる東部戦線で決定的な勝利を得る可能性は低い。だが、仮にフランスを西部戦線で迅速に敗北させることができれば、ロシアに対処する(あるいはロシアと直ちに講和する)可能性は存在する。

 そこで問題は、いかにして迅速で決定的な勝利をフランスに対して得るかとなり、その唯一の方策は、中立国ベルギーやオランダを経由しての迂回作戦に見出された。こうしていわゆる低地諸国を通過して巨大な侵攻作戦を実施することがドイツの戦略にとって不可欠な要素となり、有名なシュリーフェン計画の基本構想が確立されたのである。

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