第2次大戦 ドイツ軍の対ソ敗北は「ロジスティクス」が原因だった? ヨーロッパ戦争史からその変容を読み解く

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は中世以降のヨーロッパ戦争史と軍事ロジスティクスの変容を考える。

略奪の歴史が消滅した理由

ドイツのティーガーI(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)
ドイツのティーガーI(画像:U.S. Army Armor & Cavalry Collection)

 この小論では、イスラエルの歴史家マーチン・ファン・クレフェルトの主著『増補新版 補給戦――ヴァレンシュタインからパットンまでのロジスティクスの歴史』の内容を手掛かりとして、中世以降のヨーロッパ戦争史における軍事ロジスティクスの変容について考えてみたい。

 中世ヨーロッパ世界の戦争では、基本的に侵攻した地域を「略奪」することによってのみ軍隊は維持され得た。だが、略奪を基礎とする中世の軍事ロジスティクスのあり方は、フランス革命以後、19世紀ヨーロッパの「新たな戦争」を賄うには問題が多過ぎた。

 その結果、この時期には組織管理上の変化が見られたが、その最も重要なものが、ロジスティクスという業務が正式に軍隊の中に組み込まれたことであり、こうした変化をイギリスの歴史家マイケル・ハワードは「管理革命」と表現した(マイケル・ハワード著、奥村房夫、奥村大作共訳『ヨーロッパ史における戦争』中公文庫、2010年)。

 この時期、現地調達を徹底することによって戦いの規模と範囲を劇的に変えたナポレオン・ボナパルトの戦争でさえ、ロジスティクスをめぐる問題がその戦略を規定していたのである。

 その後、こうした略奪の歴史が1914年の第1次世界大戦を契機として消滅したのは、戦争が突如として人道的なものに変化したからではない。クレフェルトによれば、戦場での物資の消費量が膨大になった結果、もはや軍隊はその所要を

「現地調達あるいは徴発することが不可能になった」

からである。

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