東南アジア最強のLCC「エアアジア」、なぜ日本で二度敗れたのか? そしてなお日本市場を狙う野望とは
東南アジア最強のLCC、エアアジアは日本市場で二度の撤退を経験した。しかし親会社キャピタルAは400機以上の発注で拡大を再開。羽田・成田・関空など8空港で日本路線を強化し、インバウンドや北米直行便を狙う戦略が進む。
失敗要因2:社内の混乱が問題化
単独で進めた第2期は、エアアジア本体を含むグループ内部の混乱が問題をもたらした。第2期のエアアジア・ジャパンの社長はANA運航部門出身の小田切義憲氏で、同氏のリーダーシップのもと航空運送事業の許可を取得し、国交省との調整を進めていた。しかし準備が遅いと感じたエアアジア本体により、小田切氏は更迭された。
次の社長には2015年のスカイマーク破産時の経営陣が起用され、航空業界関係者を驚かせた。国土交通省は経営の混乱を不安視し、路線就航の許可を与えなかったとされる。この原因として、エアアジア側が日本の運航許可制度を十分に理解していなかったことが指摘されている。
マレーシア本国では航空運送事業の許可が出されれば即就航可能だ。しかし日本では許可取得後も、国交省や航空関係者との細かい調整が必要であった。第1期ではANAとの合弁で調整が容易だったため、設立から短期間で運航開始できた。しかし単独参入の第2期では、関係機関の課題を慎重にクリアする必要があったにもかかわらず、その仕組みを熟知した経営者を更迭してしまった。これは大きなミスであり、路線拡大にも深刻な影響を与えた。
エアアジアは外部との調整が苦手という傾向は日本以外でも見られる。日本と同時期に参入したインドでは、合弁相手のタタグループやインド航空当局との対立が激化。2022年にタタグループに株式を売却し、第1期の日本同様に撤退している。
東南アジアでも、航空規制が比較的緩い国では運行許可を得て子会社を設立できた。しかし本国地盤を守る傾向のあるベトナムやシンガポールでは、運行許可を取得できなかった。現地メディアではエアアジアが苛立ちを隠せない様子も報じられ、「日本の時と変わっていない」と感じざるを得ない状況である。