東南アジア最強のLCC「エアアジア」、なぜ日本で二度敗れたのか? そしてなお日本市場を狙う野望とは

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東南アジア最強のLCC、エアアジアは日本市場で二度の撤退を経験した。しかし親会社キャピタルAは400機以上の発注で拡大を再開。羽田・成田・関空など8空港で日本路線を強化し、インバウンドや北米直行便を狙う戦略が進む。

独自サービスの浸透困難

 東南アジアで地盤を固めたエアアジアは、かねてから日本市場への進出を目指していた。日本は経済規模も航空市場も大きいが、LCCが存在せず航空運賃が高止まりしていたためである。

 2011年、エアアジアはANAと共同出資(議決権ベースでANA67%、エアアジア33%)し、エアアジア・ジャパンを設立した。成田空港を拠点に、2012年より就航を開始した。本国同様、大手航空会社の3分の1の安さを武器に当初は人気を集め、成田から新千歳、那覇、福岡、ソウル、プサンに就航した。中部国際空港を第二ハブとすることも発表した。

 しかし日本でのビジネス展開はマレーシアやタイのように急拡大できなかった。成田空港の発着枠制限など、日本独特の航空業界の制約が大きく、エアアジア独自のサービスもなかなか浸透しなかった。

 加えて、日本人利用者の反発も大きく、2012年12月には搭乗率が採算ラインを割り込み50%に低迷した。さらに、より日本人に合ったサービスを求め、ANAとの関係も悪化。自社便やピーチとの競合を避けるため、2013年に合弁は解消された。2013年10月には全便運航を休止した。

 会社自体は存続し、バニラエアとしてリブランド。2019年には同じくANA傘下のピーチと経営統合した。また、機材は全てマレーシア本社からリースしていたため、日本撤退後は本体に戻っている。

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