「ドライブより安い!」 激安戦略で空を制した米ピープル・エクスプレス、なぜわずか「6年」で消滅したのか?
- キーワード :
- 飛行機, ピープル・エキスプレス
1980年代、米国航空業界を一世風靡したピープル・エキスプレス。低価格と独自の運営手法で業界を変革したものの、過度な拡大と不適切な合併が致命的な失敗を招いた。その栄光と挫折の裏に迫る。
文化の違いが招いた合併の失敗

1985年、ピープル・エキスプレスは米国中西部のデンバーを拠点とするフロンティア航空を買収した。しかし、フロンティア航空は労働組合が存在し、機内食や自社の予約システム、マイレージ制度などを整備しているなど、ピープル・エキスプレスとは真逆の会社だった。この合併は
「ノンユニオン(労働組合のない会社)がユニオンを食った」
と話題になったが、企業文化や経営戦略が大きく異なる両社の統合がうまくいくはずがなかった。
実際、フロンティア航空の労働者はピープル・エキスプレスの方針に反発し、社内対立が深刻化していった。また、フロンティア航空自体も赤字経営に苦しんでいたため、収益を圧迫する存在となった。これを打開するため、ピープル・エキスプレスは高単価なビジネス客をターゲットにし、ファーストクラスやマイレージプログラムを導入した。しかし、格安運賃で名を馳せた同社にビジネスマンが選ばれることはなく、これらの試みは単にコストを増やすだけの結果に終わった。
債務が膨らむ一方で、成長が行き詰まったピープル・エキスプレスは、最終的に他社に吸収されるしか道がなかった。そして1986年、テキサスエアーに買収され、独立性を失った。翌1987年には、テキサスエアーごとコンチネンタル航空に吸収合併された。ブランドは消滅し、同社が本拠地を置いたニューアーク空港の発着枠はコンチネンタル航空に引き継がれ、同社の東海岸最大の拠点として活用された。
2010年にユナイテッド航空がコンチネンタル航空を買収した後も、ニューアーク空港のハブ機能は維持され、シカゴ、デンバー、サンフランシスコなどと並ぶユナイテッド航空の最大規模の拠点となり、日本を含む世界各国への路線が設けられている。