「ドライブより安い!」 激安戦略で空を制した米ピープル・エクスプレス、なぜわずか「6年」で消滅したのか?
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1980年代、米国航空業界を一世風靡したピープル・エキスプレス。低価格と独自の運営手法で業界を変革したものの、過度な拡大と不適切な合併が致命的な失敗を招いた。その栄光と挫折の裏に迫る。
競合を震撼させた驚異の運賃

ピープル・エキスプレスは1981年4月、ドナルド・バーによって設立された。ルフトハンザ航空から購入した中古のボーイングB737を使い、ニューヨーク(ニューアーク国際空港)からバッファロー、コロンバス、ノーフォークなどの近距離路線で運航を開始した。その後、ニューアークを拠点に急速に路線網を拡大し、ワシントンやボストンなどの東海岸の大都市、さらにフロリダなどにも進出した。
ピープル・エキスプレスの人気の秘密は、
「ドライブするよりも安く」
と宣伝された驚異的な低価格だ。ニューアークからワシントンなどの近距離便は27~40ドル、ヒューストンなど比較的長い距離の路線でも79~99ドルと、当時の相場では考えられない価格だった。この低価格は徹底したコスト削減策によって実現した。
例えば、機内食のサービスはなく、座席予約の仕組みさえ存在しなかった。搭乗は早い者順で、運賃は機内で徴収された。さらに、料金を徴収するクルーは地上業務も担当しており、ひとりで複数の役割をこなせるような教育を受けていた。労働組合もなく、経営陣は従業員に株の購入を促していた。また、機材の増強もすべて中古機を格安で手に入れる方式を取っていた。
その安さに衝撃を受けた競合各社は、ピープル・エキスプレスが運行する路線で価格を大幅に引き下げて対抗した。例えば、最初に就航したニューヨーク~ノーフォーク線では、競合するピードモント航空(後にUSエアに吸収され、現在のアメリカン航空)は82ドルだった料金を35ドルに値下げした。