「ドライブより安い!」 激安戦略で空を制した米ピープル・エクスプレス、なぜわずか「6年」で消滅したのか?
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1980年代、米国航空業界を一世風靡したピープル・エキスプレス。低価格と独自の運営手法で業界を変革したものの、過度な拡大と不適切な合併が致命的な失敗を招いた。その栄光と挫折の裏に迫る。
格安運賃で国際線進出

ピープル・エキスプレスは1983年にブラニフ航空からリースしたボーイングB747を使い、ニューアーク~ロンドン(ガトウィック)線を開設した。
ここでも安さは変わらず、毎日159ドル、乗客全員同料金という破格の価格で提供された。当時、プラザ合意前でドルの価値は日本円に対して非常に高く(1ドル225円前後)、それでも片道3万5755円という値段だった。この価格で乗るのは2024年2月時点でも相当運がよくないと無理な価格帯で、いかに安かったかがわかるだろう。
450席を備えた大型機を設立3年目の格安航空会社が運航するというニュースは大きな話題となり、瞬く間に人気路線となった。また、ボーイングB747には座席幅を広げた「プレミアムクラス」を設け、売上増を狙っていた。その後、同社はブリュッセルやモントリオールへの路線も展開し、国際線でも注目を集めようとしていた。