インドのビール王が築いた「キングフィッシャー航空」はなぜ破綻したのか? 設立6年でシェア20%獲得も、まさかの「給料未払い」に陥った理由とは?

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キングフィッシャー航空の興亡は、急成長と破綻の教訓を示す壮大な物語だ。設立から6年で20%の市場シェアを獲得したものの、過度な投資と不適切な経営により、2012年に運行を停止することになった。この事例は、ビジネスにおけるリスクと顧客ニーズの重要性を再認識させるものとなった。

5つ星エアラインの栄光と挫折

チェンナイ国際空港(MAA)のキングフィッシャー航空機(画像:Matthew T Rader)
チェンナイ国際空港(MAA)のキングフィッシャー航空機(画像:Matthew T Rader)

 2003年、マリヤ氏は長年の夢であった航空業界への参入を決意し、キングフィッシャー航空を設立した。2年後の2005年には、4機のA320を使って商業運行を開始した。この運行開始は、息子の18歳の誕生日プレゼントだったとも報じられている。

 さらに3年後の2008年、キングフィッシャー航空はA330を用いてロンドン線を開設した。当時、インドの国際線参入には「運行開始から5年経過し、20機以上の飛行機が必要」という規則があったが、キングフィッシャー航空は経営不振に悩む格安航空会社(LCC)エア・デカン(2003年運行開始)を買収することでこの規制をクリアした。

 同社は、最新の映画を放映する機内エンターテインメント、質の高い機内食、高レベルのホスピタリティなどの優れたサービスを提供し、他の航空会社と差別化を図った。このアプローチは、英国のヴァージン・アトランティック航空と似た戦略であり、「インドのリチャード・ブランソン」と称されるマリヤ氏らしい発想といえる。実際、キングフィッシャー航空は英国の調査会社スカイトラックスから、インドで唯一の5つ星エアラインの認定を受けるほど、サービスの評価が高かった。

 また、傘下にはLCCのキングフィッシャー・レッドも置き、さまざまな顧客層のニーズに応える準備が整っていた。高品質なサービスは乗客の評判を呼び、キングフィッシャー航空は急成長した。2010年末には、インド国内やロンドン、香港、バンコク、シンガポールに就航し、約1200万人の輸送実績、64機の航空機、1日あたり260便を誇るようになった。2011年4月には、インド航空市場で第1位となる20%のシェアを獲得した。

 さらに拡大にも熱心で、インドの航空会社として初めて最新の長距離機材であるA350や、総2階建て機のA380を発注した。インド国内や近隣諸国だけでなく、アフリカ、アジア、欧州、北米、オセアニアの各都市への就航計画も発表されていた。2012年には、JALが加盟する航空連合・ワンワールドへの加盟も発表された。

 このように、マリヤ氏が仕掛けた高水準のサービスと壮大な拡大戦略により、キングフィッシャー航空はインドから世界中にネットワークを広げる航空会社へと飛躍するはずだった。

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