新宿に「焼鳥」を広めたのは意外な乗り物だった! 徒歩5時間の仕入れを不要にした“物流革命”の正体

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かつて田舎町であった新宿は、昭和時代初期から繁華街として発展し始める。昭和初期の新宿では屋台の焼鳥が人気だったが、焼鳥をはじめとして目覚ましく発展する新宿の飲食業を影で支えていたのが、オートバイだったのである。

新宿の飲食業を支えたオートバイ

田辺茂一『わが町・新宿』(画像:紀伊國屋書店)
田辺茂一『わが町・新宿』(画像:紀伊國屋書店)

 もともと江戸~東京の人口は下町に集中しており、彼等に食料を供給する

・築地の「魚市場」
・秋葉原の「青物市場」
・三ノ輪の「内臓問屋」

も、人口密集地に近い下町に設置されていた。

 大正時代に新宿から三ノ輪に内臓肉を仕入れに行くには、徒歩で往復5時間、自転車とリアカーでも2時間以上の時間が、移動だけで必要とされた。

 ところが昭和時代に入るとオート三輪やトラックが普及。問屋が内臓肉を配達してくれるようになったのである。

 新宿の飲食店の発展は、オート三輪やトラックの運送力が支えていたのだ。

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