新宿に「焼鳥」を広めたのは意外な乗り物だった! 徒歩5時間の仕入れを不要にした“物流革命”の正体
かつて田舎町であった新宿は、昭和時代初期から繁華街として発展し始める。昭和初期の新宿では屋台の焼鳥が人気だったが、焼鳥をはじめとして目覚ましく発展する新宿の飲食業を影で支えていたのが、オートバイだったのである。
主要運送手段であったオートバイ

60歳以上の人ならば子どもの頃に、前輪がひとつしか無いトラックが、街なかを走っている姿を記憶していることだろう。
このトラック、名前を「オート三輪」という。なぜオートかというと、自動車から派生したトラックではなく、オートバイから発展したトラックだからだ。
戦前のオート三輪は、文字通りの荷車付きトライクルバイクである。これが豚の内臓肉を新宿に運んでいたのだ。
昭和初期はトラックが普及し始めた時期だが、一般の人にはおいそれとは購入できない高価なものだった。
トラックを購入する資金のない人々に、いわば廉価版のトラックとして普及したのが、オート三輪なのである。