新宿に「焼鳥」を広めたのは意外な乗り物だった! 徒歩5時間の仕入れを不要にした“物流革命”の正体

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かつて田舎町であった新宿は、昭和時代初期から繁華街として発展し始める。昭和初期の新宿では屋台の焼鳥が人気だったが、焼鳥をはじめとして目覚ましく発展する新宿の飲食業を影で支えていたのが、オートバイだったのである。

馬糞だらけの田舎だった新宿

戦前のオート三輪(画像:近代食文化研究会)
戦前のオート三輪(画像:近代食文化研究会)

 1905(明治38)年に新宿で生まれた紀伊國屋書店創業者の田辺茂一によると、彼が子どもの頃の新宿は、なにもない田舎であった(田辺茂一『わが町・新宿』)。

 燃料問屋の息子だった田辺によると、新宿の道には馬糞が多く転がっていた。鉄道で山地から運び込まれる薪や炭を、馬車に載せ替えて東京中に配送する中継地が、新宿だったからである。

 その後東京の人口は膨張し続け、西へ西へと住宅地は拡大していった。馬糞だらけの田舎にあった新宿駅は、昭和初期には人々が通学通勤に使うターミナル駅となっていった。

 ターミナル駅となった新宿駅周辺に、燃料問屋にかわって増殖したのがデパートなどの商店や飲食店であった。こうして新宿は現在のような繁華街となったのだが、従来の繁華街である浅草や銀座と異なり、新宿の飲食店には解決すべき問題点があった。

 食材を仕入れる市場や問屋が下町に集中しており、新宿から毎日仕入れに出かけるには、時間と労力がかかりすぎたのである。

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