いすゞ「乗用車復活」の日は来るのか? 撤退から30年以上……トラックメーカー視点で読み解く再参入の課題とは

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かつて117クーペやベレットで日本の乗用車市場に存在感を示したいすゞが、商用車で築いた年間30万台規模のASEAN生産基盤を武器に、EV・SUV需要が伸びる国内市場への再参入を検討する。ブランド再構築と提携戦略が成否のカギとなる。

名車が築いたブランド力

いすゞ・ピアッツァイルムシャー(画像:いすゞ自動車)
いすゞ・ピアッツァイルムシャー(画像:いすゞ自動車)

 かつてのいすゞ自動車は、日本の乗用車市場で存在感を放った名車メーカーである。1953(昭和28)年に英国ルーツ社と技術援助協定を結び、「ヒルマンミンクス」の技術を導入したことが乗用車開発の出発点だった。

 その後、1963年のベレット、1968年の117クーペ、1974年のジェミニ、1981年のピアッツァ、1983年のアスカなどを世に送り出し、市場で一定の影響力を維持した。これらのモデルは街中で広く見かけられ、デザインや性能面で自動車ファンから高い評価を受けた。特に117クーペは、スポーティなスタイリングと品質の高さから、当時の若者や評論家の注目を集めた。

 しかし、いすゞの乗用車部門は長らく低迷した。1990年代には経営危機に陥り、リストラを重ねることになる。そして1993(平成5)年、乗用車の自社開発・生産から撤退した。以降は商用車に経営資源を集中させ、ASEAN市場向けには「D-MAX」などのピックアップモデルを展開し、年間30万台以上を生産している。

 乗用車市場撤退から30年以上が経過した今でも、自動車ファンや市場関係者の間では、いすゞの乗用車復活を望む声が根強く残る。ASEANで評判の高いピックアップを基盤に、乗用車市場への再参入を期待する声も高まっている。現地ユーザーや専門家の評価を背景に、いすゞが再び市場で輝きを取り戻せるかが注目される。

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