大阪・関西万博だけじゃない! 日本のモビリティを変えた「博覧会の経済学」―― 日本初の一般営業電車が「博覧会」で生まれたワケとは
「観光客に人気の乗り物」も博覧会が発祥だった

ここまでは、博覧会がきっかけで日本に初上陸し、その後、生活に欠かせない存在となったモビリティを紹介してきた。しかし、博覧会から生まれた乗り物のなかには、それらとは異なる少し風変わりなものもある。例えば、はとバスなどに代表される「女性バスガイド付き観光バス」も、その誕生は博覧会がきっかけだった。
女性バスガイドによる観光バスが登場したのは1928(昭和3)年のこと。大分県別府市で旅館・亀の井旅館(現・亀の井ホテル)を営んでいた油屋熊八が、別府公園で開かれた中外産業博覧会に合わせ、バス事業・亀の井自動車(現・亀の井バス)を立ち上げた。博覧会への来場者向けに、少女車掌付き遊覧バスとして定期運行を開始したのがはじまりだった。
女性バスガイドは大きな人気を集め、同年には東京乗合自動車(のちに東京市営バスに合併、現・都営バス)も導入。その後、全国に広まっていった。亀の井バスの定期観光バスは、博覧会から約100年が経った現在も運行を続けている。地獄めぐりにちなみ、鬼をかたどった専用車両は、関連グッズが販売されるほどの人気となっている。
博覧会をきっかけに地域のシンボルとなった観光列車は、首都圏にも存在する。埼玉県の秩父鉄道を走るSL観光列車・SLパレオエクスプレスだ。この列車は、1988(昭和63)年に熊谷市で開催されたさいたま博の目玉のひとつとして運行が始まった。博覧会の跡地には、現在熊谷ラグビー場などを備えた熊谷スポーツ文化公園が整備されている。
けん引するSLは1944年製の「C58 363」。かつて埼玉県吹上町(現・鴻巣市)で静態保存されていたものを、JR東日本大宮工場(現・大宮車両センター)などで整備した。当初は博覧会会期中の期間限定運行の予定だったが、好評だったため運行が継続された。パレオエクスプレスという名称は、秩父地方に生息していたとされる海獣・パレオパラドキシアに由来する。かつて埼玉に海があったことを伝える名前でもある。
さいたま博から約40年が経った今も、SLパレオエクスプレスは秩父観光の象徴として親しまれている。牽引機の「C58 363」は、復活後の歴史のほうが長くなった。
博覧会は、最先端や次世代技術が集まる場である。そして、ここまで紹介してきたとおり、モビリティの発展とも密接な関係にある。大阪・関西万博では、実際に来場者が乗ることはできなかったものの、日本製の乗用ドローン(空飛ぶクルマ)「eVTOL」が初めて披露された。また、次世代モビリティをテーマとするパビリオン「ロボット&モビリティステーション」も設けられている。
近い将来、大阪・関西万博で紹介されたこれらの技術が、生活に欠かせない存在として街に根づく時代が来るかもしれない。
●参考文献
・大分県別府市 編(2025):「別府市誌」大分県別府市
・沖中忠順・福田静二(2000):「京都市電が走った街 今昔-古都の路面電車定点対比」 JTB
・橋爪紳也・乃村工藝社(2021):「博覧会の世紀」(展示図録)青幻社
・万博記念公園(大阪府吹田市)「EXPO’70 パビリオン」展示