日産が「村山工場」を捨てた根本理由――ゴーン氏だけの影響じゃない! グローバル化の波に消えた企業城下町、追浜・湘南閉鎖から考える

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バブル期の過剰投資が招いた“幽霊工場”の教訓は、今なお色濃く残る。日産が検討する追浜・湘南両工場の閉鎖は、村山工場の轍を再び踏むものなのか。国内工場削減の裏にある、製造業の構造転換と都市近郊立地の限界に迫る。

「創業地消滅」への転換点

日産自動車のロゴマーク。2022年1月14日撮影(画像:時事)
日産自動車のロゴマーク。2022年1月14日撮影(画像:時事)

 経営難が続く日産自動車は、2027年度までに世界で7工場を削減する計画を進めている。国内では、主力の追浜工場(神奈川県横須賀市)と子会社・日産車体の湘南工場(同県平塚市)の閉鎖を検討中とされる。国内主力工場の閉鎖は2001(平成13)年の村山工場以来であり、創業の地にある工場が消えるという意味でも象徴的な動きだ。

 こうした都市近郊型工場の閉鎖は、日産に限った現象ではない。自動車業界全体で同様の動きが続いており、構造的な問題が背景にある。実際、村山工場は、現在の再編トレンドを先取りする象徴的事例であり、多くの示唆を与えてきた。

 本稿では、同工場撤退の背景にあった経営判断や産業構造を検証する。現在進行中の工場再編、そして日本の製造業の今後を見通すための手がかりを探る。

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