日産が「村山工場」を捨てた根本理由――ゴーン氏だけの影響じゃない! グローバル化の波に消えた企業城下町、追浜・湘南閉鎖から考える

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バブル期の過剰投資が招いた“幽霊工場”の教訓は、今なお色濃く残る。日産が検討する追浜・湘南両工場の閉鎖は、村山工場の轍を再び踏むものなのか。国内工場削減の裏にある、製造業の構造転換と都市近郊立地の限界に迫る。

都市と製造業のゆくえ

 村山工場の歴史から以下の教訓が得られる。

・製造業の立地優位性は永続しない
・企業城下町モデルはグローバル競争下では機能しない
・過去の成功体験に基づく投資判断は致命的になりうる

現在進行中の追浜工場の閉鎖も、この延長線上にある。大企業の強みは、失敗を重ねても豊富な資産によって倒産ではなく変貌を選べる点にある。

 村山工場の跡地はイオンモールへと再開発され、地域は新たな発展の段階に入った。工場の撤退は終焉ではなく、再編の起点と捉えるべきだ。武蔵村山市では現在、多摩都市モノレールの延伸が予定されている。地域は

「日産が去った町」

というイメージからの脱却を図っている。

 村山工場の経験は、産業が時代に応じて再配置・再定義される過程に希望を与える。この事例は、今後の都市政策や産業政策にとって重要な示唆を含んでいる。

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