かつて成田を埋め尽くした「赤い翼」! 太平洋路線の名門「ノースウエスト航空」を覚えているか? 消滅から15年、その栄光と挫折とは

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ノースウエスト航空は、日本とアジアを結ぶ重要な架け橋として、成田空港での赤い尾翼の大型機で広く知られた。1980年代以降の競争激化と航空自由化の中、2008年のデルタ航空との合併によりその歴史は幕を閉じたが、成田のハブ機能は依然として影響力を持ち続けている。

日本市場での提携難航と影響

ノースウエスト航空は、2007年1月8日に最後のDC-10が退役し、DC-10を飛ばす最後の旅客航空会社のひとつとなった(画像:Bram Steeman)
ノースウエスト航空は、2007年1月8日に最後のDC-10が退役し、DC-10を飛ばす最後の旅客航空会社のひとつとなった(画像:Bram Steeman)

 ノースウエスト航空はデルタ航空との合併後も、東京ハブ機能をそのまま存続させた。中国便を中心に徐々に直行便が増える一方で、東南アジア路線を中心に以遠圏路線は残り続けた。しかし、ノースウエスト航空とデルタ航空は、スカイチームに加盟しているにもかかわらず、日本では提携する航空会社がなく、ANAやユナイテッド航空が加盟するスターアライアンスに比べて不利な立場が続いた。そのため、2010年の合併前後には、太平洋路線が弱かったアメリカン航空と提携し、アライアンスに加盟したJAL(2007年にワンワールドに加入)を巻き込もうとしていた。

 当時、JALは業績が急速に悪化していたため、デルタ航空の提案は魅力的に映り、アライアンス移籍とデルタ航空との提携が実現するかと思われた。しかし、2010年、経営破綻後に就任した稲森会長がアメリカン航空との提携を重視したため、デルタとの提携は破談となった。

 また、スカイマークが2015年に倒産した際も、デルタ航空は同社に出資する意向を示していたが、最終的にはANAの出資が決まり、その計画は断念された。日本での提携先が見つからなかったデルタ航空は、成田空港から移転する計画を立てたが、羽田空港の発着枠では十分なハブ機能を維持できなかったため、東アジアや東南アジア方面のハブをスカイチームに加盟する大韓航空の拠点であるソウル・仁川国際空港に移転することとなった。以遠圏路線は次々と廃止され、2020年3月にはデルタ航空の成田~マニラ線が運休となり、長年運航されてきた日本~アジア路線は消滅した。ノースウエスト航空時代から半世紀以上続いた東京ハブの歴史も、これで終わりを迎えた。

 その後、デルタ航空は2020年代に入るとハブ機能をソウルに移し、東京発着の路線をすべて羽田に移転したが、ノースウエスト航空時代からの整備拠点は依然として成田に残っており、今でも成田ではデルタ航空の機材を時折見ることがある。

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