かつて成田を埋め尽くした「赤い翼」! 太平洋路線の名門「ノースウエスト航空」を覚えているか? 消滅から15年、その栄光と挫折とは

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ノースウエスト航空は、日本とアジアを結ぶ重要な架け橋として、成田空港での赤い尾翼の大型機で広く知られた。1980年代以降の競争激化と航空自由化の中、2008年のデルタ航空との合併によりその歴史は幕を閉じたが、成田のハブ機能は依然として影響力を持ち続けている。

倒産から合併、転落

大阪伊丹空港のボーイング747-100。1990年、ノースウエスト合併後のカラーリング(画像:Communi core)
大阪伊丹空港のボーイング747-100。1990年、ノースウエスト合併後のカラーリング(画像:Communi core)

 ノースウエスト航空は日本を含む太平洋では強い存在感を持っていたが、米国内ではアメリカン航空、デルタ航空、ユナイテッド航空といった大手と比べるとその力は弱かった。これは、消滅したパンナムと同様の状況だった。そして90年代に入ると、上記の三社が主導する形で世界の他国の航空会社とアライアンスを結ぶようになり、ノースウエスト航空が得意とする国際線でも徐々にその影響力を失っていった。

 ノースウエスト航空は、KLMオランダ航空やコンチネンタル航空、後にアリタリア航空とともに「ウイングス・アライアンス」を設立しようと準備を進めていた。しかし、アメリカン航空が主導するワンワールド、ユナイテッド航空が主導するスターアライアンス、デルタ航空が主導するスカイチームに比べて動きが遅れ、その結果、他の三つの勢力に押されて構想は消滅してしまった。これらの四社はノースウエスト航空を含め、2004年までにスカイチームに加盟するものの、デルタ航空に比べるとその影響力は薄く、ノースウエスト航空の国際線におけるプレゼンスも低下した。

 さらに、2001年の同時多発テロなどの影響を受け、ノースウエスト航空の収益性も悪化。稼ぎ頭だった国際線の収益が低下し、2005年には倒産に追い込まれた。その後、2007年に再組織化されたが、もはや単独での生き残りは難しく、2008年にはデルタ航空との合併が決定され、2010年1月1日、80年以上の歴史を持ち、太平洋を支配していたノースウエスト航空はその名を消した。

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