かつて成田を埋め尽くした「赤い翼」! 太平洋路線の名門「ノースウエスト航空」を覚えているか? 消滅から15年、その栄光と挫折とは
ノースウエスト航空は、日本とアジアを結ぶ重要な架け橋として、成田空港での赤い尾翼の大型機で広く知られた。1980年代以降の競争激化と航空自由化の中、2008年のデルタ航空との合併によりその歴史は幕を閉じたが、成田のハブ機能は依然として影響力を持ち続けている。
成田空港を彩った赤い翼

午後になると、次々と赤い尾翼の大型旅客機が空港ターミナルに到着し、約2時間後には再び飛び立っていく――。これは2000年代まで成田空港でよく見られた光景で、主に米国の太平洋路線で名を馳せたノースウエスト航空が演出していた。
ノースウエスト航空は、成田をハブのひとつとして米国だけでなく、東アジアや東南アジア、グアム、サイパンへも路線を展開していた。日本における最大規模の外資系航空会社として君臨し、チケットも比較的安価だったため、旅行客にも人気があった。
しかし、2010年にデルタ航空と合併、ノースウエスト航空は消滅し、2025年でその合併から15年が経過する。本稿では、“赤い翼”の名門が残した功績とその痕跡を改めて振り返りたい。