かつて成田を埋め尽くした「赤い翼」! 太平洋路線の名門「ノースウエスト航空」を覚えているか? 消滅から15年、その栄光と挫折とは
ノースウエスト航空は、日本とアジアを結ぶ重要な架け橋として、成田空港での赤い尾翼の大型機で広く知られた。1980年代以降の競争激化と航空自由化の中、2008年のデルタ航空との合併によりその歴史は幕を閉じたが、成田のハブ機能は依然として影響力を持ち続けている。
日本の航空発展に貢献

ノースウエスト航空は、1926年に米国中西部で郵便輸送を行う「ノースウエスト・エアウェイズ」として設立された。
その後、ミネアポリスやデトロイトを拠点に多くの路線を開設した。特に1931年には、リンドバーグがアラスカ経由で日本に向かう太平洋横断飛行のスポンサーとなり、2年後にはシアトルへの路線を開設するなど、太平洋沿岸への路線開拓に積極的だった。そして、第二次大戦後の1947年には羽田空港に就航し、太平洋路線への進出を果たした。
その後もマニラ、上海、ソウルなどに路線を拡大し、アジアとの結びつきが強化されたノースウエスト航空は、「ノースウエスト・オリエント・エアラインズ」として、パンアメリカン航空(パンナム)と並んで太平洋路線を展開する米国の航空会社となった。
特に、日本とのつながりは深く、日本航空の設立にも関わるなど、日本の航空産業の発展に大きく貢献した。ノースウエスト航空は、東京をはじめ、大阪や名古屋にも路線を就航させていた。
さらに、日本路線以外でも、中国への初の直行便を飛ばした米国の航空会社となり、米国とアジアを結ぶ航空史において欠かせない存在となった。