琵琶湖の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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琵琶湖大橋の開通から60年、湖西地域の発展を支えた交通インフラとしての役割は顕著だ。しかし、今なお新たな架橋計画は進まず、現行インフラで十分とされる背景にはどのような理由があるのか。湖の水運から近代交通網まで、地域発展の裏側に迫る。

琵琶湖の架橋事情

琵琶湖(画像:国土地理院)
琵琶湖(画像:国土地理院)

 筆者(碓井益男、地方専門ライター)は、これまで当媒体で「なぜここに橋を作らないのか」といった架橋に関する記事を執筆してきた。今回は日本最大の湖「琵琶湖」に焦点を当てる。

 離島への架橋が進む現代でも、日本地図を眺めると「なぜここには橋がないのか」と疑問に思う場所は多い。琵琶湖もその一例だ。滋賀県の面積の大半を占める琵琶湖には、東西を結ぶ橋がわずか2本しかない。

・大津市今堅田と守山市今浜を結ぶ「琵琶湖大橋」
・大津市丸の内町と草津市新浜町を結ぶ「近江大橋」

のみだ。琵琶湖の橋といえば瀬田の唐橋を思い浮かべる人も多いが、これは厳密には琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かる橋である。東海道や北陸道など、古代から主要交通路が集中する琵琶湖周辺では、湖を横断する橋よりも、

「湖上の水運」

が交通の要として発達してきた。織田信長の安土城も、近年の調査で湖水を取り込んだ水城だったことが判明している。安土城は坂本、長浜、大溝といった城と連携し、琵琶湖の水運と東西交通の要衝として機能していた。

 もし織田政権が続き、安土が大都市へと発展していたら、現代の琵琶湖北部にも橋が架けられていただろうか。歴史の「if」に思いを巡らせつつ、現代の交通インフラのあり方を考えたい。

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