北陸新幹線開業27年! 長野県「佐久市」が繁栄し「小諸市」が衰退した理由とは?

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北陸新幹線が開業した後、佐久市は交通の便利さを活かして繁栄した。しかし、一方の小諸市は衰退していった。小諸は特急停車駅を失ったため、観光客が大幅に減少し、懐古園の来場者数は100万人から約18万5000人にまで落ち込んだ。佐久市は2021年の商圏調査で23万9303人という高い地元滞留率を示しているが、商業は特定のエリアに集中しており、全体の商店数は38%も減少している。両市の運命は交通と商業に大きく依存しており、今後の動きが注目される。

千年続く佐久と小諸の競争

佐久平駅(画像:写真AC)
佐久平駅(画像:写真AC)

 佐久市と小諸市は長野県東部に位置する。1997(平成9)年の北陸新幹線開業(高崎から長野までの117km)で、このふたつの自治体の運命は大きく変わった。佐久市には新幹線の駅ができたが、小諸市は新幹線のルートから外れ、首都圏との直接アクセスも失ったのだ。

 このため、小諸市は「新幹線誘致に失敗し衰退した地方都市」というイメージが定着してしまった。しかし、この25年間を

・佐久市の繁栄
・小諸市の衰退

という単純な構図で片付けてよいのだろうか。

 両市の競争は、はるか昔の律令(りつりょう)時代(日本の古代国家が律令制を使って統治していた時代。大体7世紀末から10世紀中頃まで続いた)にまでさかのぼる。

 古代、小諸には東山道(律令制に基づいて整備された五畿七道のひとつで、東日本に向かう主要な交通路)の駅が置かれ、交通の要所として栄えていた。しかし、その優位性も時代とともに変化していく。鎌倉時代には、佐久地方南部の有力武将・大井氏の勢力が強まり、その拠点である岩村田(今の佐久市)が新しい中心地となった。

 その後も両市の立場は時代の流れとともに揺れ動いた。戦国時代には武田氏が小諸を重要視し、江戸時代には小諸藩が佐久地方を統治して地域の中心となった。一方、岩村田は中山道の宿場町として発展し、後に岩村田藩が設置されるまでになった。

 明治維新後、信越本線の開通で鉄道の要衝となった小諸は、佐久地方で最も栄える商業都市となった。しかし、岩村田は鉄道から外れて近代化の波に乗り遅れることになった。このように、両市は1000年以上にわたり、交通の要所としての地位や政治的な主導権を巡って競い合ってきた。

 1980年代後半、北陸新幹線(当初は長野行き新幹線として計画)の構想が具体化すると、佐久地方に新たな転換点が訪れた。新幹線の駅をどこに設置するかを巡り、地域全体で大きな議論が巻き起こったのだ。さまざまな議論の末、最終的に新駅は佐久市に設置されることが決まり、その駅は「佐久平」と名付けられた。そして1997年10月、北陸新幹線が開業し、佐久市は再び佐久地方の中心としての地位を手に入れた。

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