北陸新幹線開業27年! 長野県「佐久市」が繁栄し「小諸市」が衰退した理由とは?
北陸新幹線が開業した後、佐久市は交通の便利さを活かして繁栄した。しかし、一方の小諸市は衰退していった。小諸は特急停車駅を失ったため、観光客が大幅に減少し、懐古園の来場者数は100万人から約18万5000人にまで落ち込んだ。佐久市は2021年の商圏調査で23万9303人という高い地元滞留率を示しているが、商業は特定のエリアに集中しており、全体の商店数は38%も減少している。両市の運命は交通と商業に大きく依存しており、今後の動きが注目される。
「一極集中のわな」佐久市の苦悩

一方、佐久市も繁栄の偏在を問題視し、現在は立地適正化計画を進めている。
この計画では、佐久平駅周辺、野沢地区、中込地区の三つを都市機能誘導区域として設定している。医療、福祉、商業などの都市機能を集約し、公共交通で結ぶことでコンパクトシティを目指している。しかし、実際には佐久平駅周辺にさまざまな施設が集中し、利便性が高いため、3極の均衡ある発展は容易ではない。
こうして見ると、新幹線誘致の「勝敗」が必ずしも両市の明暗を分けたわけではないことがわかる。むしろ、勝者とされた佐久市は駅周辺への一極集中といういびつな発展に直面し、敗者とされた小諸市は危機を機にコンパクトシティ化を着実に進めている。
今や小諸市を
「新幹線が来なくて衰退した街」
と考えるのは古い考え方だ。最近では、逆境をバネにアニメの聖地をテーマにした誘客を図るなど、さまざまな方法で復活を目指している小諸市の動きは目を引く。問題点としては、老朽化によるもので仕方がないとはいえ、懐古園の「草笛小諸本店」を建て替えてしまったことくらいだろうか。
そういえば、佐久市のロマンス座も長い間閉館しているが、今でも
「ロマンス座の近く」
「ロマンス座の実家」
といういい回しが通じる。懐古趣味に浸るわけではないが、信越本線で碓氷峠を越えていた頃の素朴な佐久地方が懐かしい。