百貨店の顔だった「エレベーターガール」、彼女たちはいつその姿を消したのか? 背後にあったさまざまな歴史とは

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エレベーターガールの誕生と進化は、モビリティ技術の進展と密接に関係している。1929年に上野松坂屋で初めて導入され、その柔らかな接客スタイルは全国の商業施設に広がった。自動ドアの導入によって操作が容易になると、エレベーターガールは単なる運転手から「顔」としての役割を果たすようになり、顧客体験を向上させる重要な存在になった。

自動化進化の裏側

エレベーターガール。小田急百貨店新宿本館地下1階(新宿駅西口地下コンコース)にて。2007年撮影(画像:Gideon)
エレベーターガール。小田急百貨店新宿本館地下1階(新宿駅西口地下コンコース)にて。2007年撮影(画像:Gideon)

 現在でも国内の百貨店などでわずかに見かけるエレベーターガール。なぜエレベーターに人を配置し、この職業が女性に定着したのだろうか。また、いつ、そしてなぜ姿を消していったのか。この疑問に答えるには、エレベーターがモビリティとしてどのように発展してきたかを理解する必要がある。

 現代のエレベーターはドアが自動で開閉し、行き先のボタンを押せば自動的に指定した階に移動する。しかし、昔はそうではなかった。

 現在稼働しているなかで最も古い日本のエレベーターは、京都市の老舗中華料理店・東華菜館にある1924(大正13)年製のもので、その構造と操作方法は現代のものとは全く異なる。

 まず、行き先階のボタンは存在せず、係員がハンドルレバーを操作して昇降と停止を制御する。また、ドアの開閉も自動ではなく、すべて手動で行われていた(現役で稼働しているこのタイプのエレベーターの多くは、東華菜館のものも含めて、停止階で自動的に止まるように改造されている)。

 しかし、かつてはそのような機構はなく、ハンドルレバーの操作には熟練が必要で、目的の階で正確に止めるのは難しかった。また、客が乗り降りするたびに、係員が重い鉄製のドアを手動で開閉しなければならないこともあった。そのため、初期のエレベーターでは、1台ごとに人員を配置することが必須だったのだ。

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