百貨店の顔だった「エレベーターガール」、彼女たちはいつその姿を消したのか? 背後にあったさまざまな歴史とは

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エレベーターガールの誕生と進化は、モビリティ技術の進展と密接に関係している。1929年に上野松坂屋で初めて導入され、その柔らかな接客スタイルは全国の商業施設に広がった。自動ドアの導入によって操作が容易になると、エレベーターガールは単なる運転手から「顔」としての役割を果たすようになり、顧客体験を向上させる重要な存在になった。

頻発するエレベーター死亡事故

百貨店のエレベーターのイメージ(画像:写真AC)
百貨店のエレベーターのイメージ(画像:写真AC)

 昭和初期には、手動式と押しボタン式のエレベーターが両方利用されていたが、いずれも

・エレベーター係
・エレベーター運転手

と呼ばれる専門の係員が配置され、操作する方式が主流だった。

 こうした専門の人材が必要とされた大きな理由は、安全面での懸念があったためだ。大正から昭和初期の新聞記事を調べると、エレベーターによる死亡事故が驚くほど頻繁に発生していたことがわかる。

 例えば、1926(昭和元)年10月1日付の『東京朝日新聞』には、

「エレベーターで又もや惨死す」

という見出しで死亡事故が報じられており、その内容も現在では考えられないものだった。次に引用してみよう。

「修繕中第4階より約4尺5寸上昇していたエレベーターへ運転手なる○○(原文は実名・住所)が飛び乗らんとして足をすべらし、昇降路を約40尺の高所から真っ逆さまに地下室へ墜落し頭蓋骨を粉砕して惨死した。急報により日比谷署から係員出張したが、全くの過失であると判明した」

ちなみに「40尺」とは約12mだ。「惨死」という言葉も非常に生々しい。

 この事故事例が示すように、ドアが手動であったり安全装置が不十分だったりするために、エレベーターのかごの位置を誤認して昇降路に転落したり、動き出したエレベーターに無理に乗り込もうとして挟まれる事故が多かった。そのため、エレベーターを設置する際には

「見張り」

を兼ねた係員の配置が欠かせなかったのだ。

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