百貨店の顔だった「エレベーターガール」、彼女たちはいつその姿を消したのか? 背後にあったさまざまな歴史とは

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エレベーターガールの誕生と進化は、モビリティ技術の進展と密接に関係している。1929年に上野松坂屋で初めて導入され、その柔らかな接客スタイルは全国の商業施設に広がった。自動ドアの導入によって操作が容易になると、エレベーターガールは単なる運転手から「顔」としての役割を果たすようになり、顧客体験を向上させる重要な存在になった。

エレベーターガールの過酷な現実

百貨店のエレベーターのイメージ(画像:写真AC)
百貨店のエレベーターのイメージ(画像:写真AC)

 ただ、この職業は華やかさだけではなかった。『東京朝日新聞』1936(昭和11)年11月11日付の朝刊では、銀座伊東屋のエレベーターガールを取材し、その過酷な仕事ぶりが報じられている。

「銀座伊東屋のエレベーターガール白井衛子さんはハンドル持つ手を緩めて、じっと自分の手を凝視めた、十八娘の真珠のような艶々しい手といいたいが、その手は関節太く、掌の皮膚は固い。日本娘の指の繊細さなどと嘯くジャン・コクトオに見せたいほどだ」

 仕事の過酷さも重要だが、注目すべき点は、このエレベーターがハンドルで操作する

「手動式」

であることだ。上野松坂屋では全自動化をきっかけにエレベーターガールを導入したが、他の施設でもエレベーターガールの評判がよかったため、男性からの置き換えが進んでいった。

 この記事を書くにあたってさまざまな資料を確認したところ、押しボタン式エレベーターの普及は予想以上に緩やかだった。1960年代後半から1970年代にかけて都市部で高層ビルの建設ラッシュが始まり、エレベーターの需要が急増した。この時期を境に、効率的で使いやすい押しボタン式エレベーターが徐々に主流となった。

 しかし、昭和40年代に入って建築された商業施設でも手動式エレベーターの新規設置が見られることから、昭和のある時期までは

「エレベーターガールを配置することを前提とした設計思想」

が根強く残っていたようだ。

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