百貨店の顔だった「エレベーターガール」、彼女たちはいつその姿を消したのか? 背後にあったさまざまな歴史とは

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エレベーターガールの誕生と進化は、モビリティ技術の進展と密接に関係している。1929年に上野松坂屋で初めて導入され、その柔らかな接客スタイルは全国の商業施設に広がった。自動ドアの導入によって操作が容易になると、エレベーターガールは単なる運転手から「顔」としての役割を果たすようになり、顧客体験を向上させる重要な存在になった。

日本初のエレベーター誕生と撤去

 日本のエレベーターの歴史は19世紀後半にさかのぼる。日本で初めてのエレベーターは、1890(明治23)年11月に浅草の高層建築物・凌雲閣(りょううんかく)に設置された。

 このエレベーターは国産技術で作られたが、技術が未熟だったためか故障が頻発し、7か月後の1891年5月に警視庁が危険として運転を中止し、撤去されてしまった。その後、1914(大正3)年7月に再度エレベーターが設置されたが、これは米国から輸入したオーチス製のものであった。

 20世紀に入ると、日本国内でビル建設が増え、それにともないエレベーターの設置事例も増加した。当初は日本に進出したオーチス製のエレベーターが多く使われていた。

 一方で、日本でも独自にエレベーターを開発しようとする意欲が高かった。1903年には、大阪で開催された第5回日本勧業博覧会で、大林組が木製の塔にオーチスのエレベーターを模したものを設置した記録が残っている。また、1915年には機械技師の東松孝時(とうまつたかとき)が東松式と呼ばれる

「押釦(おしぼたん)式全自動エレベーター」

を開発し、大阪本町の伊藤丸紅呉服店に設置した。この後、東松が1919年に設立したのが、現在も続く日本エレベーター製造である。

 しかし、国産エレベーターの普及は容易ではなかった。これは、日本のエレベーターが技術やデザインの面で海外製と比較して見劣りしていたためだ。例えば、前述の東華菜館や日本橋高島屋のエレベーターはいずれもオーチス製である。

 また、押しボタン式も簡単には普及しなかった。『建築資料共同型録 大正15』(建築資料協会、1927年)には、エレベーターは

・コントローラーの操作で移動するもの
・ボタン式のもの

があると説明されている。

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