百貨店の顔だった「エレベーターガール」、彼女たちはいつその姿を消したのか? 背後にあったさまざまな歴史とは

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エレベーターガールの誕生と進化は、モビリティ技術の進展と密接に関係している。1929年に上野松坂屋で初めて導入され、その柔らかな接客スタイルは全国の商業施設に広がった。自動ドアの導入によって操作が容易になると、エレベーターガールは単なる運転手から「顔」としての役割を果たすようになり、顧客体験を向上させる重要な存在になった。

変わるエレベーターガールの役割

 興味深いのは、押しボタン式エレベーターが普及した後、エレベーターガールの役割が次第に変化したことだ。彼女たちは、単なる操作係から施設の「顔」としての役割や、詳細な案内サービスの提供者へと機能を拡大していった。

 この変化は、官公庁やデパートの例に特に顕著に見られる。例えば、東京都の豊島区役所では、2000(平成12)年まで4階建ての庁舎に2台のエレベーターがあり、

「エレベーター乗務員」

と呼ばれる女性係員が配置されていた。彼女たちはエレベーターの操作に加え、庁舎の案内係も担当しており、バリアフリーが進んでいない時期には利用者へのケアも行っていた。

 一方、デパートでは案内係としての役割が特に重要だった。伊勢丹新宿店の事例を報じた『読売新聞』1988(昭和63)年9月3日付の朝刊には、次のように記されている。

「伊勢丹新宿店には、エレベーターの操作・運転を担当するエレベーターガールが49人いる。ただ運転をするだけでなく最近は仕事も多様化している。店内の案内をはじめ、体に障害をもつ人が来店すれば一緒に買い物の手伝いもする。だからどんな商品がどの階に陳列されているかはもちろん、デパート全体を把握していないといけない」

このように、エレベーターガールは役割を変えながら存続した。来客への温かい

「おもてなし」

を体現し、自動化では提供できない細やかなサービスを提供する重要な存在になったのだ。

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