JALの中国版? 19兆円の負債を抱えて破綻した「海航集団」の無謀な拡大路線と、その結末
海航集団の崩壊は、中国経済の脆弱(ぜいじゃく)性を浮き彫りにする象徴的な出来事となった。この崩壊の背景には、航空業界の失敗だけでなく、無謀な投資によって事業拡大を目指した複合企業の問題もあった。
海南航空の成長軌跡

海航集団の基盤となる海南航空は1989年に設立された。創業者の陳峰(チェン・フォン)氏は山西省出身で、ルフトハンザ航空の航空専門学校を卒業し、その後、日本航空でトレーニングを受けた王健(ワン・ジエン)氏も参画した。当初、海南航空は中国の経済特区に指定された海南省を拠点とし、「海南省航空」という名称で1993年に定期便の運行を始めた。1996年に現在の海南航空に名称変更した。
その後、海口や三亜などの海南省の拠点だけでなく、北京、西安、深センなどの成長著しい都市をハブ空港として路線網を拡大していった。2019年には国内線の座席シェアが
「6.2%」
に達し、国営の中国国際航空、中国南方航空、中国東方航空に次いで、中国で4番目、民営では最大規模の航空会社に成長した。サービスの評価も高く、スカイトラックス・ワールド・エアライン・アワードで最上級の5つ星認定を受けたこともある。
海南航空のネットワークは中国国内だけでなく、日本などの近隣諸国、欧州、北米、オーストラリア、ニュージーランドなどの長距離路線も展開している。欧州路線ではベオグラードやマンチェスター、ダブリンなど、日本からの直行便がない都市にも就航している。
また、海南航空は北京首都航空や香港航空、祥鵬航空などをグループ会社として地方路線の充実を図っている。日本路線を展開する会社もあり、読者のなかにはこちらの方がなじみ深い人も多いだろう。