「戦跡巡り」のエンタメ性に宿る危険性、今後の観光体験はどうあるべきか【リレー連載】平和産業としての令和観光論(2)
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観光資源としての戦跡
観光は「平和産業」である。なぜなら、世の中が平和でなければ成り立たない産業だからだ。
平和産業として果たす役割を考える際、まず思い浮かぶのは「戦跡巡り」である。戦跡とは、戦争によって作られた施設や被害を受けた建物などを指す。日本においては、主に太平洋戦争の時代を象徴する遺構を意味しており、近年では「戦争遺跡」という表現も定着している。
日本各地には数多くの戦跡が存在し、多くは観光スポットとなっている。特に、修学旅行で訪れることの多い
・広島県
・長崎県
・沖縄県
などがよく知られている。これらの地域に残る戦跡は、戦争の惨禍を現代に伝え、平和を考える場を提供している。
しかしながら、戦跡は“悲劇の記憶”を伝えるものばかりではない。
・横須賀市(神奈川県)
・呉市(広島県)
・佐世保市(長崎県)
といった軍港地域がその例である。これらの地域には、かつての軍港施設が数多く残されており、戦争の悲劇よりも軍港としての繁栄の歴史が強調されている。例えば、これらの地域の博物館や旧軍艦の展示は、軍港の歴史を詳細に物語っている。戦跡への認識は実に多様なのである。
戦争の惨禍を観光資源として活用しようとする動きは、終戦から間もなく始まっている。1948(昭和23)年から1949年にかけて『平和記念都市ひろしま』という映画が製作された。この映画は、1948年から撮影が開始され、20分にわたって広島駅前や本通り商店街などの光景に続き、公営住宅・公園・図書館などの復興計画案を模型や絵で紹介。原爆孤児らの暮らしぶりを収めている。
この映画は、広島を復興を通じて観光客を誘致する目的で作られたが、
「連合国軍総司令部(GHQ)の介入」
により公開は禁じられた。また1949年に発行された『HIROSIMA』という英文の観光冊子では、広島の復興の様子とともに「広島原爆八連図」という鳥瞰図が収録されている。この事例は、戦争の傷跡が、まだ「遺跡」と呼ぶまでに古びていない時期に早くも観光資源として活用されていたことを示している。