「戦跡巡り」のエンタメ性に宿る危険性、今後の観光体験はどうあるべきか【リレー連載】平和産業としての令和観光論(2)

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コロナ禍や世界各地の戦争を乗り越え、観光が平和と国際協力に与える影響を探るリレー連載。異文化理解や対話の促進を通じて、観光は「平和産業」としてどのような役割を果たすべきかを検証する。

戦跡の新時代

鹿島海軍航空隊跡(画像:写真AC)
鹿島海軍航空隊跡(画像:写真AC)

 戦跡の認識が新たな段階に移行したのは、戦後50年が経過した1995(平成7)年頃である。

 この時期、戦跡の重要性はますます高まり、戦争体験者から直接話を聞く機会が減っていることが広く認識されるようになった。この変化は、戦跡の数が文化財として指定されるようになった背景となっている。

 日本全国に2~3万とされる戦跡のうち、文化財として指定されているのは

「約300」

である。最近では、茨城県美浦村にある鹿島海軍航空隊跡が史跡公園として整備された一方で、保存費用が捻出できないために解体される遺跡も多いのが現実である。

 他方、もはや戦争を記憶する人が絶えようとしている現在では、戦跡を軸に、過去の戦争そのものが観光資源として活用されている。日本海軍の軍港として栄えた呉市では、旧海軍鎮守府長官宿舎だった入船山記念館が1996年に復元されて以来、訪問者数が増加した。とりわけ、2005年の呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の開館は、海軍関連の戦跡を観光の目玉に変えた。

 こうした戦跡巡りは、従来の平和学習とは異なる

「エンターテインメント性」

を含んだ観光としての側面を強めている。このエンターテインメント性は、「戦争責任」を考えることを放棄し、戦国武将や幕末の志士のように消費するものだ。

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