郊外のシンボル「ロードサイド店舗」 なぜ激増し、そして衰退したのか? 昭和~令和の心象風景を探る
ロードサイド店舗の新戦略

ロードサイド店舗の発展は、1989(平成元)年に通産省(現経済産業省)が発行した『90年代の流通ビジョン』の発表によって新たな局面を迎えた。
この文書では、日米貿易摩擦をはじめとする国際的な経済摩擦の要因として、
「公的規制」
の存在が指摘されており、特に大店法が大きな焦点となっていた。
郊外では都市部に比べ出店規制が緩和されていたものの、店舗面積には依然として制限が設けられていた。同年に実施された日米経済構造協議のなかで、大店法が外国資本の進出障壁となっていることが強調された。具体的には、「トイザらス」が大店法の規制を背景に既存店の反対で日本市場に参入できない問題が取り上げられた。
「米国の強い要求」
により、大店法に基づく規制は徐々に緩和され、出店自由化が推進された。これにより大店法は有名無実化し、2000年に
「大規模小売店舗立地法」
に置き換えられることとなった。
この規制緩和の波は、郊外地域にショッピングモールが次々と建設される動きに拍車をかけた。1990年代に入り、大型店の規制緩和が進むなか、郊外の広大な土地は大規模な商業施設の立地に理想的な場所となった。
イオンや三井アウトレットパークなどの大手小売業者は、複数のブランド店舗をひとつの施設に集約する形態のショッピングモールを積極的に展開し始めた。これらの施設は、広大な駐車場と、1日を通してさまざまな消費者のニーズに応える大規模なエンターテインメントとショッピングの複合施設を提供し、新たな消費の中心地としての役割を果たすようになった。
ショッピングモールの出現により、ロードサイド店舗も変化を余儀なくされた。ショッピングモールを訪れる消費者をターゲットにした新たな戦略が求められ、結果、ロードサイド店舗は
「ショッピングモール周辺に位置する」
ことで相乗効果を狙った。これにより、従来単体での集客に頼っていたロードサイド店舗から、ショッピングモールの利便性と組み合わせて消費者の選択肢を広げる商圏が形成された。ショッピングモールに集客される消費者層にとって、ロードサイド店舗は補完的な商品やサービスを提供し、郊外型消費空間としての役割を強化することになる。