神戸市人口が150万人割れ 原因は本当に「震災」だけなのか? 衰退するニュータウン、貧弱な子育て施策、そもそも危うかった都市経営モデル
10月12日、神戸市は2001(平成13)年以来22年ぶりに人口が150万人を下回ったと発表した。根本原因は何か。
22年ぶりの出来事
10月12日、神戸市は2001(平成13)年以来22年ぶりに人口が150万人を下回ったと発表した。市の統計によれば、10月1日時点での推計人口は149万9887人。2011年のピーク時の154万5000人からは減少している。
既に福岡市、川崎市に人口順位で抜かれ、全国20の政令指定都市の中で7番目まで転落している。日本を代表する都市のひとつだった神戸市で、人口減が続く理由はなぜなのか。
記者会見で、久元喜造市長は人口減の理由について
「(阪神・淡路大震災の影響が)ボディーブローのように効いてきた」
と述べた。
1995年の阪神・淡路大震災の復興事業が財政を圧迫し、まちづくり施策が後手に回ったとの見方である。本当に震災により、施策が遅れたことが原因なのだろうか。まず、この点から検証してみよう。
行政主導の大規模都市開発で発展
震災後、神戸市が災害復旧・復興事業に投じた震災関連事業費は
「約2兆8800億円」
にのぼっている。これは当時の市税収入(1994年度決算で2741億円)の10倍を超える規模だった。このうち48.1%を市債発行で賄ったため、神戸市は一時、1兆円を越える借金を抱えることになった。
しかし、神戸市の景気後退は“震災以前”から始まっていたことに留意しなければならない。
神戸市は高度成長期以降、行政主導の大規模都市開発によって発展してきた。1960年代後半、貨物船の大型化にともない、埠頭(ふとう)が手狭となった神戸市では、沖合に港湾機能を移転する計画が推進された。その結果生まれたのが、
・六甲アイランド
・ポートアイランド
のふたつの人工島だ。
これと並行して進められたのが神戸市営地下鉄西神・山手線沿いの
・須磨ニュータウン
・西神ニュータウン
など、多数のニュータウンの造成である。