郊外のシンボル「ロードサイド店舗」 なぜ激増し、そして衰退したのか? 昭和~令和の心象風景を探る

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郊外の幹線道路沿いには、駐車場を備えたロードサイド店舗が連なっている。こうした風景は、今や日本各地で当たり前のように見られる。これらはどのようにして形成されたのだろうか。

ロードサイド店舗の業種多様化

ロードサイドのイメージ(画像:写真AC)
ロードサイドのイメージ(画像:写真AC)

 1970年代のロードサイド進出の活況ぶりは、異業種からの参入が相次いだことによって証明される。現在もロードサイドに見られるディスカウントストアやホームセンターには、この時期に異業種から小売店展開に参入したものも多い。

 例えば、ディスカウントストアのロヂャースは、ボウリング場を経営していた企業が、そのブームの衰えた時期にボウリング場を改装して開業したものである。また、ホームセンターのビバホームは、アルミサッシの製造販売を行っていたトステム(現リクシル)が始めた事業である。これらの企業はロードサイドに所有していた施設を有効活用し、成功を収めたわけである。

 1980年代には、ロードサイドへの店舗移転が加速し、業種の多様化が起こっている。人の流れが郊外へ移ったことで、それまでは都市中心部の商店街にあった業種、例えば衣料品店、釣具店、カメラ店、メガネ店などもロードサイドへ移行していった。

 こうして多くの都市では郊外に新たな商業集積地が生まれた。それまで存在した、郊外の住民が中心部に買い物に出掛ける流れが失われたのである。都市中心部、駅前の商店街は衰退を始めていくことになった。

 ロードサイド店舗の成功は複合的な要因によるものである。第一に、郊外への人口流出が加速し、それにともない自動車依存のライフスタイルが普及した。これにより、自動車利用者が増加し、アクセスしやすいロードサイド店舗の需要が高まった。

 第二に、これらの店舗は低価格を核としたビジネスモデルを確立した。郊外の安い土地を利用することで固定費を削減し、さらに商品やサービスの規格化によって業務効率を高め、それがコスト削減に直結した。

 こうした戦略は、価格競争力を高めるとともに、従来の中心街の店舗とは異なる新たな顧客体験を提供することに成功し、市場における競争優位を確立した。これらの動きが組み合わさり、ロードサイド店舗は経済的にも文化的にも独自の地位を築き上げたのだった。

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