郊外のシンボル「ロードサイド店舗」 なぜ激増し、そして衰退したのか? 昭和~令和の心象風景を探る

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郊外の幹線道路沿いには、駐車場を備えたロードサイド店舗が連なっている。こうした風景は、今や日本各地で当たり前のように見られる。これらはどのようにして形成されたのだろうか。

大規模小売店舗法の成立

新設中のロードサイド店舗(画像:写真AC)
新設中のロードサイド店舗(画像:写真AC)

 明確な目的を持ってドライバーに対して、自動車での買い物を促すように設計された店舗の最初の例は、1969(昭和44)年に八王子の甲州街道沿いにオープンした村内ホームセンター(現在は村内ファニチャーアクセス八王子本店)だとされている。

「家具は村内 八王子~♪」

のラジオCMで知られていた同店は(最近、TBSラジオで再び聞くようになった)、スイスの「メーベル・フィスター(巨大家具専門店)」に学び、中央道八王子インターチェンジの開通を機に4300坪(1万4215平方メートル。一辺が約120m)の土地を購入。

「ティーカップからロールスロイスまで あなたの全ての夢を叶えます」

をキャッチフレーズとし、注目を集めた。

 この後、1970年代前半にロードサイド店舗の進化が始まった。紳士服の「洋服の青山」や「アオキ」などがロードサイドへと出店を開始する。また「すかいらーく」が東京・府中市にファミリーレストランの1号店を開店したことに始まり、「ロイヤル」「デニーズ」「ロッテリア」といった店舗が次々とロードサイド展開を開始した。これらの店舗は、一貫した店舗デザイン、看板、メニュー、サービスを規格化し、典型的なロードサイドの風景を生み出すきっかけとなった。

 ロードサイドへの出店が加速した背景には、

「駅前や都市部での出店の困難さ」

が挙げられる。当時の状況を語る上で欠かせないのが、1974年の

「大規模小売店舗法(大店法)」

成立である。

 この法律は既存の中小小売業の保護を目的としたものだった。そのため大規模店舗の出店に際しては開店日、店舗面積、営業時間や休業日数の事前調整など厳しい条件が課せられていた。実質、既存店舗によって組織される商工団体の同意がなければ、出店はできないという仕組みである。こうした厳しい制限をかける法律が必要になるほど、都市中心部の商業地では、大規模店舗を計画する企業と、既存店舗との紛争が相次いでいた。

 一方、郊外のロードサイドは、都市中心部に比べるとあつれきを生む可能性は低かった。これが、ロードサイド店舗が増加した理由といえる。

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